撮影現場では泣かないと決めていた巨匠も、クランクアップの後、弁当を食べていると、胸がいっぱいになった。豪華ではないおかずが涙で曇り、見えなくなったという▼九十九歳の新藤兼人監督にとって「最後の作品」となる『一枚のハガキ』の公開が始まった。立ち見客も出る映画には、三十二歳で召集された新藤さんの戦争体験が直接、反映されている▼ともに応召した中年の新兵百人のうち、輸送船でフィリピンに向かった六十人は米潜水艦の攻撃で海に沈んだ。三十四人は潜水艦や海防艦で、戦死した可能性が高いという▼内地に配属され、生き残った六人の一人が新藤さんだった。上官が引いたクジの行き先に、兵士とその家族の運命が無情にも振り分けられたのだ。九十四人の魂を背負って生きた戦後だった。フィリピン行きが決まり、死を覚悟した戦友が新藤さんに見せたのは、妻から届いた愛情のこもったはがきだ。その文面を忘れられず、最後の映画のテーマになった▼描きたかったのは、将官や参謀らが見た戦争ではなく、末端の二等兵が見た戦争だった。「私が見た戦争を映画にしてからじゃないと死ねないと思った」と新藤さんは語る▼引き裂かれた家族の無念さと、どんな苦難も乗り越える人間の強さが描かれた作品は、東日本大震災の発生から初めて八月十五日を迎える今、なおさら心に響く。