HTTP/1.0 200 OK Server: Apache/2 Content-Length: 19694 Content-Type: text/html ETag: "3d251-4783-95c23840" Cache-Control: max-age=5 Expires: Tue, 09 Aug 2011 01:21:45 GMT Date: Tue, 09 Aug 2011 01:21:40 GMT Connection: close asahi.com(朝日新聞社):天声人語
現在位置:
  1. asahi.com
  2. 天声人語

天声人語

Astandなら過去の朝日新聞天声人語が最大3か月分ご覧になれます。(詳しくはこちら)

2011年8月9日(火)付

印刷

 きのうに続いて柳田国男の話になるが、著作を読んでいて次の一節に立ち止まり、傍線を引いた。「歴史にもやはり烏賊(いか)のなま干(び)、又(また)は鰹(かつお)のなまり節のような階段が有るように感じられた」(「雪国の春」)▼つまりスルメや鰹節のように乾ききっていない。歳月は経たけれど、まだはっきりと過去のものではない――そうした意味だが、先ごろの国際面の記事にこのくだりが重なり合った。中国で、日本の旧満蒙開拓団員の慰霊碑が、建立からわずか10日余りで撤去されたという▼碑は黒竜江省方正県政府が、日中友好のために建てた。中国外務省の承認も得ていたが、「なぜ侵略者の慰霊碑を建てるのか」と、ネットなどで批判が起きた。親日的な土地柄の方正県は、きびしい批判に萎縮気味だという▼日本軍が中国東北部へ侵攻した満州事変から今年で80年、終戦からは66年がたつ。しかし歴史は、鰹節にもなまり節にもならず、切れば血が出る姿で今も横たわる。「過激な反日」で片づけるわけにもいかない実情の一面だろう▼柳田の一節は、明治の三陸大津波から20余年後に現地を訪ねた感慨だった。「一人々々の不幸を度外に置けば、疵(きず)は既に全く癒えて居る」とも述べている。表向きの復興を一皮むけば個々の涙が流れている。それは天災も戦災も変わるまい▼まばゆい戦後の繁栄を経てなお、戦争を過去のものにできない人は多い。無論日本人ばかりではない。国境を越えてゆく想像力を培いたい、追悼と鎮魂の8月だ。

PR情報