故井上ひさしさんの戯曲『父と暮せば』に、稲妻に原爆の閃光(せんこう)を重ねておびえる娘を、被爆死して幽霊になった父が励ます場面がある▼<ピカを浴びた者は、ピカッいうて光るもんにはなんであれ、それがたとえホタルであってもほたえまくってええんじゃ。いんにゃ、けっかそれこそ被爆者の権利ちゅうもんよ>▼原爆症の吐き気やだるさに悩まされ、生き残った罪の意識から恋心すら封じる娘。その人生を想像すると、<ほたえ(騒ぎ)まくる>権利を被爆者から奪ってきたのが、この国の戦後ではなかったか、と痛感する▼広島と長崎で被爆者の診察、検査をした米国の原爆傷害調査委員会(ABCC)は治療を一切しなかった。死者の臓器は米国で放射線障害の研究材料になった。まるでモルモットだ▼研究データが、米国の核戦略のために隠されることなく、共通財産になっていれば、水や食べ物を通じて取り込んだ放射性物質が、ゆっくり人体を蝕(むしば)む内部被ばくの恐ろしさも広く認識されたはずだ▼人類の頭上で核爆弾が初めて炸裂(さくれつ)してから六十六年。広島の平和記念公園ではきのう、「ノーモア・フクシマ」の声が響いた。核の悲惨さを知っていたはずなのに、私たちは再びヒバクシャを生み出してしまった。「平和利用」のまやかしを思い知らされた今、この言葉をかみしめる。「核と人類は共存できない」