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8月6日付 よみうり寸評

 多くの人が答えに詰まる問いかもしれない。「どうしてヒロシマとカタカナで書くのですか?」◆そんな質問が、原爆資料を収蔵・展示している広島平和記念資料館のホームページに回答と共に紹介されていた。それによると、広島市が「ヒロシマ」を使うのは、「被爆都市として世界恒久平和の実現をめざす都市であることを示す」場合という◆原爆への怒り、被爆した悲しみ、そして未来に向けた断固たる意思。確かに「ヒロシマ」には、地名を超えた思いがにじむ。不思議な感覚だが、カタカナが意味を語り出す◆被爆地・長崎も「ナガサキ」と書くことがある。意味はヒロシマと共通だろう。「原爆の日」の今日、改めてカタカナ地名の重みを思う◆東日本大震災の後、ここに「フクシマ」を加える人もいる。核兵器による災厄と原子力事故は異なる。だが、怒りと悲しみに違いはない◆苦境を乗り越え、「フクシマ」が、未来へと力強い響きを持つ日が遠からず来ることを。そう念じながらヒロシマの声を聞く。

2011年8月6日14時07分  読売新聞)

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