HTTP/1.1 200 OK Date: Sat, 06 Aug 2011 22:06:16 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:原爆忌に考える もっともっと太い声で:社説・コラム(TOKYO Web)
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【社説】

原爆忌に考える もっともっと太い声で

 いつにも増して特別な日になりました。ヒロシマの歴史はフクシマの今にも続いています。たとえ核兵器が廃絶されても、この国に原発がある限り。

 爆心地から東へ四百六十メートルの広島市袋町小学校では、焼け残った西校舎の一部が、平和資料館として一般に公開されています。

 当時の面影を伝える玄関脇で、横長のパノラマ写真が来訪者を出迎えます。撮影は十月五日。「爆心地から南方面を望む」という説明がついています。

◆まさか福島で原発が

 原爆ドームを中心に、コンクリートの建物の四角い基礎の部分だけを残して、見渡す限り平たんな廃虚になってしまった広島の街。ところどころにがれきの山がうずたかく積まれ、橋の下には、壊れた家の材木がたまっています。はるか瀬戸内海に浮かぶ似島の三角形が、はっきりと見渡せます。

 原爆がテーマの朗読劇「少年口伝隊(くでんたい)一九四五」の制作者、富永芳美さん(61)の頭の中で、原爆の焦土と津波にさらわれた東北の港町が重なりました。震災翌日、袋町小学校に足を向け、写真の前で黙とうをささげると、少し気持ちが落ち着きました。でもまさか、福島で原発が爆発しようとは。

 少年口伝隊は、井上ひさしさんの作品です。昨年のこの日、本欄で「太い声で語りんさい」の見出しとともに、取り上げました。原爆で社屋を失った中国新聞社に組織された少年たちが、焼け跡を駆け回って口伝えでニュースを読んだ史実が基になっています。

 「大事なことはただ一つじゃ。かならず太い声で読まんさいよ」。この短いセリフの中に、反戦、反核の“太い声”を上げ続けた井上さんの思いが凝縮されています。さもないと、人は声の大きな方へ、便利な方へと、ついついなびいてしまうから。

◆ヒロシマから共感を

 昨年の七月が広島初演。ことしも七月中に市内で計五回、うち一回は原爆を生き延びた被爆電車の中での公演でした。

 原爆投下から間もない九月、広島は枕崎台風の高潮に襲われました。脚本には「やがて広島は、汚れた水をたたえた湖になった。二千十二名の命が湖の底に沈んだ」と書かれています。

 そして、口伝隊の少年たちをむしばむ放射能。目の前で進行する福島の現実を考えたとき、演出の岡本ふみのさん(32)は「今ここで、これを演じてもいいのだろうか」と自問しました。

 岡本さんはそこでもう一度、東北や福島の現状を見直します。核の恐怖は過去のものではありません。ヒロシマ、ナガサキ、フクシマと三たび続いた核の過ちを、もうこれ以上繰り返してはなりません。だから、ヒロシマがフクシマに寄せるヒロシマならではの共感を、一人でも多くの人に伝えたい、伝えなければならないと、考えを改めました。

 岡本さんがこの夏の舞台で最も力を入れたのは、口伝隊が「進駐してきた米兵をやんわりやさしく慰めろ」という、当局からの要請を伝える場面です。

 ついこの間まで、徹底抗戦を主張していた大人たち。為政者の変わり身の早さに少年たちは「こがあ、さかへこ(さかさま)な話があっとってええんじゃろか」と憤慨します。

 “さかへこ”なのは、日本だけではありません。原爆を落とした当の米国は、終戦から八年後、米ソの緊張が高まる中で、核の平和利用を提唱し、原爆で破壊した日本に、原子炉と核燃料を与えて自陣に引き入れます。

 日本政府は米国の“厚意”にいたく感激し、核の恐怖と原子の夢を切り分けて、原子力発電所の建設に邁進(まいしん)します。当時、日米合同で広島に原発を造る提案(米下院の決議案など)さえありました。米国の世界戦略にのっとって、恐怖を夢で塗りつぶそうとしたわけです。まさに“さかへこ”です。

 長崎では、原爆の犠牲者で、平和のシンボルのような永井隆博士さえ「原子力が汽船も汽車も飛行機も走らすことができる。(中略)人間はどれほど幸福になるかしれないね」(「長崎の鐘」)と書いています。

 しかし、博士はそのすぐあとに「人類は今や自ら獲得した原子力を所有することによって、自らの運命の存滅の鍵を所持することになったのだ」と添えました。

◆原発のない次世代へ

 フクシマは教えてくれました。地震国日本では、原子の夢にまどろむことはできないと。核の恐怖と原子の夢、ヒロシマとフクシマの空は続いているのだと。

 私たちも去年以上に、もっとずっと腹の底から“太い声”を絞り出し、核兵器のない国同様、原発のない国を次の世代に残そうと、語らなければなりません。

 

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