<「イロシマハ、ナツノキゴカ」と問ふサラに冬には詠まぬ我を恥ぢたり>小川真理子。以前、本紙で歌人の栗木京子さんが紹介していた短歌である▼サラは日本のことを勉強しているフランス人。彼(か)の国の言葉ではHは発音されないから、i(イ)ro(ロ)shi(シ)ma(マ)となる。フランス語の講師でもある歌人が、そう問われ、はっとなった体験を詠んだものという▼耳が痛いのはこちらも同様。マスコミが、この月にだけせっせと戦争のことを取り上げる風潮を皮肉る「八月のジャーナリズム」という言葉もある。今日は広島原爆忌、九日は長崎原爆忌だ。だが、これまでとはまるで違う忌日▼無論、福島の原発事故を経験した後だからだ。カタルーニャ賞受賞スピーチで作家村上春樹さんが語ったように、今度は誰かに爆弾を落とされたわけではないが「我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害」には違いない▼恐るべき放射能被害の教訓を広島の慰霊碑に「過ちは繰り返しませんから」と刻みながら、ほかならぬ日本人が易々(やすやす)と原発を受け入れ、過ちを繰り返した。私たちはいわば原爆忌を「キゴ」として「歳時記」の中に閉じ込めてしまっていたのかもしれない。核への態度を決する生々しい「原点」であり続けるべきだったのに…▼原発の今後を思えば、なお強く響く「過ちは繰り返しませんから」。今度こそ。