HTTP/1.0 200 OK Server: Apache Content-Length: 48077 Content-Type: text/html ETag: "f4c22-1359-ecde3440" Expires: Thu, 14 Jul 2011 22:22:12 GMT Cache-Control: max-age=0, no-cache Pragma: no-cache Date: Thu, 14 Jul 2011 22:22:12 GMT Connection: close 7月15日付 編集手帳 : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)


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7月15日付 編集手帳

 説話のモデルにもなった一休禅師が死に臨んで詠んだ歌という。〈死にはせぬ どこへも行かぬここに居る たづねはするな ものは()はぬぞ〉。禅文化研究所編刊『一休道歌』に収められている◆どこにも行かない。ここにいる。お前のそばにいる。何も語りかけはしないけれど…。親を亡くして間もない子供には、父の、あるいは母の、それぞれの声音で聞こえる歌かも知れない◆きょうの()蘭盆(らぼん)、迎え火をたいて祖先の霊を迎えた方も多いはずである。震災で家族を亡くした人には、しかし、おそらくは迎えるも送るもあるまい。昼となく夜となく、亡き人がいつでもそばにいるような、歌に通じる心境でおられるに違いない◆家族のアルバムを津波に奪われた人も大勢いる。〈どこへも行かぬここに居る〉といっても、写真に面影さえ(しの)ぶことができないとは、気の毒でならない◆古い都々逸にある。〈遠く離れて 会いたいときは 月が鏡に なればよい〉。男女の恋心を歌ったものだが、父母を恋い、子を恋うる願いにも通じるものがある。()(よい)は満月、寝苦しい夜更けに、月の鏡を仰ぐ人もあるだろう。

2011年7月15日01時21分  読売新聞)

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