テストします、結果は合格と決まっています。海江田万里経済産業相が打ち出した原発のストレステストとは、そんな話ではないか。付け焼き刃の政策続きでは、不安を膨らませかねない。
ストレステスト(耐性試験)では、全原発を対象に、最悪の災害などにも耐えられるかどうかを考査する。
欧州連合(EU)は福島第一原発被災直後にその必要性を表明し、域内すべての原発を対象に、六月から始めた。地震や津波、航空機事故などに対し、核燃料の格納容器や冷却機能がどれだけ持ちこたえられるかを確かめる。中間報告までに約三カ月かけるという。EUは閣僚級会合で、ストレステストは安全性確保の「第一歩」と位置付けた。
ところがである。当の日本政府は、定期検査で停止中の九州電力玄海原発運転再開への動きに合わせたように、それを持ち出した。
その上、経産省は、検査の結果は再稼働の条件にはならないとの見解を示している。菅直人首相も、きのう国会で再稼働との関連を追及されると、あいまいな答弁に終始してしまった。これでは何のためのテストか分からない。合格を決めた受験生に、形ばかりの入試を受けさせるようなものではないか。まさに本末転倒だ。
テストの方法や項目などは、その経産省の機関である原子力安全・保安院などが決めるという。原発の安全性を高めるためには、経産省から切り離すべきだと指摘されている機関である。こんな試験をだれが信用できよう。
震災後に各電力会社に必要とされた緊急対策も、計画段階にあるものや、完了までに数年かかるものも少なくない。テストをするというのなら、たとえば第三者の専門家集団が一から見直したテスト基準をつくり、“合格”したものから再稼働を審査するというのが、正しい順序でないか。
玄海原発の地元、玄海町や佐賀県は再開容認へ動きだしていた。しかし、隣県の長崎や周辺自治体の首長、住民には、拙速な再稼働を不安視する声が強まっている。ストレステストは、こうした不安や疑問を真摯(しんし)に受け止め、それらを解消するために実施されるべきである。
そもそも方針のあいまいさが問題だ。国民の不安と疑問の根底には、政府が、自然エネルギーの普及や発送電の分離といったエネルギー政策の未来図を、いつまでたっても示せないことがある。
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