民間から初めて国鉄総裁になった石田礼助は在任中、政府からあった勲一等叙勲の申し出をこう言って断った。「おれはマンキー(猿)だよ。マンキーが勲章下げた姿見られるか。見られやせんよ」▼戦前は商社マンとして、米国や中国などで働いた。戦争回避に動いたことが問題視され、三井物産を退社。戦後は農場を経営していたが、引き受け手のない第五代国鉄総裁に請われて就任した。七十八歳の時だった▼総裁として国会に初登院した際に運輸委員会で述べた自己紹介の弁が有名だ。「生来、粗にして野だが卑ではないつもり…」。運輸族の国会議員を前にして、国鉄の惨状を「諸君たちにも責任がある」と言い放つ気骨の経済人だった▼「知恵を出さないやつは助けない」などの発言が批判され、就任からわずか九日目で辞任した松本龍復興対策担当相の記者会見で、同じ言葉が飛び出した。「粗にして野だが卑ではない松本龍、一兵卒として復興に努力していきたい」▼荒っぽい言葉遣いで集中砲火を浴びてしまったが、すっぱりと辞めた自分は「卑ではない」とでも言いたかったのだろうか。自己陶酔が過ぎて鼻白む▼やり手のない重職を引き受けたのは同じかもしれないが、総裁時代の石田はパブリック・サービス(公的な奉仕)を重視する姿勢を貫いた。二人を比較すること自体、失礼な気がしてしまう。