政府・与党が消費税を二〇一〇年代半ばまでに段階的に10%に引き上げる案を決めた。いずれ増税が必要だとしても、霞が関や公務員制度の改革、人件費二割削減などの公約はどうなったのか。
決定に至るまで民主党内の議論は大荒れだった。「デフレに加え大震災があった。そこへ増税では経済に大打撃だ」「辞める総理が増税を決めるべきではない」などと増税反対論が続出した。
結局、最終案は当初の「二〇一五年度までに」という目標が消え、引き上げ時期があいまいになった。与党の一角を占める国民新党も反対したため、閣議決定も見送られた。政府の方針とはいえ、実際に増税が実施されるまで、なお道は険しい。
「増税は避けられない」と長く指摘されながら、なぜいつまでも決まらないのか。菅直人政権も財務省も、そろそろ根本的な理由を考え直してみるべきだ。
それは霞が関や永田町がいくら財政危機をあおって増税を訴えても、普通の人々が「政府は国民に負担を押しつけるばかりで、自分たちの身を削ろうとしない」と気がついているからだ。民主党議員たちも、そんな草の根の声を無視できないのである。
たとえば、霞が関は地方自治体と二重、三重、北海道に至っては四重行政とも指摘される非効率な縦割り行政を改めたか。いつまでもなくならない天下りを根絶するために公務員制度改革に真剣に取り組んだか。
東京電力・福島第一原発事故は地震と津波が直接の引き金だったが、放射能漏れが防げなかった遠因には「政官業トライアングル」と言われる政治家と官僚、東電のもたれ合いがあった。
霞が関が網の目のように、あらゆる業界に既得権益を拡大し、国民の税金が天下り官僚の給料に化けている。原発事故はそうした無駄と非効率、ガバナンス(統治)の欠如を象徴している。
菅政権は国家公務員人件費の二割削減も公約していた。大震災を受けて平均7・8%引き下げる方針を決めたが、二年間だけの臨時措置にとどまっている。二割削減には届きそうになく、議員の報酬や定数見直しに至っては、ほとんど手がついていない。
本来なら、税と社会保障の共通番号導入こそ優先すべきだ。クロヨンと呼ばれる所得捕捉率の不公平是正に役立つだけでなく、増収効果も期待できる。増税の前に、やるべき仕事は山積している。
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