HTTP/1.1 200 OK Date: Thu, 30 Jun 2011 21:06:58 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:カツオ来た 次は希望だ 被災地の水産再建:社説・コラム(TOKYO Web)
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【社説】

カツオ来た 次は希望だ 被災地の水産再建

2011年6月30日

 黒潮に乗ってカツオの群れがやって来た。三陸の海が活気づき、だれもが再生への希望を抱く。海辺の復興街づくりはやはり、水産業の再建からだ。

 カツオが来た。宮城県気仙沼港は、久々の活気に沸いた。「何としてもカツオを揚げる」。漁業、水産関係者、いや街中がこの日を目標に、歯を食いしばって復旧に努めてきた。

 昨年まで十四年連続生鮮カツオの水揚げ量日本一は気仙沼の誇りであり、カツオの到来は、働き手の八割近くが水産に携わる、気仙沼復興の狼煙(のろし)にほかならない。

◆漁業、それとも水産か

 大津波は港もろとも、日本有数の水産基地をのみ込んだ。重油タンクが流されて引火し、海辺は猛火に包まれた。海辺から焼け野原が続くのが、気仙沼の特徴だ。そこには市の一般ごみ百年分に当たるがれきの山が横たわる。十七万トンあった冷蔵能力のうち十万トン分が失われ、魚の腐臭が漂う中で懸命の撤去作業が続いている。

 市内企業の七割が被災し、経済損失は一年で二千三百億円に上る。復興が一日遅れるごとに、六億円の売り上げが消えていく。

 漁業の復興について、菅原茂・気仙沼市長に尋ねると、「漁業でしょうか、それとも水産の話でしょうか」と問い返された。

 例えば、生鮮カツオを捕る船は地元のものではない。九州や四国の船が、北上するカツオの群れを追い、漁をしながら三陸沖へたどり着く。六月から十一月にかけての漁期、他県の船が捕ったカツオが気仙沼の市場に水揚げされて、首都圏や中京圏に送られる。

 製氷、運送、油、箱、漁船に食料や日用品を積み込む「仕込み」の業者、餌のイワシを供給する漁師らが、総合力で“日本一”を支えている水産業だ。

◆港は氷があってこそ

 気仙沼は、遠洋マグロ漁業の基地でもある。船主が地元に会社を構え、「漁船漁業」と呼ばれている。カツオの場合とは逆に、静岡県の清水港で獲物を降ろし、ドックに入って船の整備や塗装をし直すために、母港の気仙沼へ帰ってくる。近海の漁船漁業もある。こちらには、メカジキを切り身にしたり、フカヒレや練り物の材料になるサメを解体したりするための加工施設が欠かせない。

 漁業のかたちは多種多様、水産の裾野は広い。多くの歯車がかみ合わないと、港町の復興はありえない。

 政府の復興会議は、特区を導入して漁業権を開放し、企業の参入を促すことに水産復興の重点を置いている。しかし、菅原市長は「水産施設が今の状態で、果たして企業や資本を呼び込むことができるでしょうか」と疑問を投げかける。漁船と漁場だけでなく、水産業全体の仕組みを考えないと、水産都市の将来像は描けない。

 流通の要は、氷である。大量の氷がないと、いきのいいカツオを東京や名古屋へ送れない。

 市内に七つある製氷会社の中で、岡本製氷の本社工場だけが、二階に製氷設備を置いていたため、再開できた。岡本寛社長は失ったフォークリフトやトラックをかき集め、必要量の出荷にこぎ着けた。だが、何千万という請求書が届くのはこれからだ。仮復旧の資金を加え、三重ローンを抱えることになる。

 「いつまで自力で持ちこたえればいいのか、早くめどを示してほしい」と、岡本社長は訴える。

 カツオが来た。水産の街には次の目標、次の希望が必要だ。一律に特区の網をかけても、新しい目標は定まらない。宮古、釜石、大船渡、石巻−。それぞれの港、それぞれの地域にふさわしい水産の仕組みがあるからだ。

 今月半ば、気仙沼商工会議所の千田満穂副会頭は「新たな街づくりはこうしたい」という夢を描いたA1判のイラストマップ三万枚を自腹で作り、地元の新聞に折り込んだ。避難所を設置して海辺に集約された水産企業、魚市場、屋台村、被災漁船がシンボルの記念公園などをちりばめた。

 「スピード感を持って」というはやり言葉とは裏腹に、市は県の、県は国の判断待ちという現状に業を煮やしたこともある。「材料がなければ、議論が始まらない。もちろん批判があってもいい」と、千田さんは考えた。

◆この街をどうしたい?

 復興水産都市の具体的な将来像を決めるのは、結局は住民だ。政府や県は、使いやすい資金を可能な限り地域に回すべきである。

 どんな企業を、どのような形で受け入れるかは、地域が決めていけばいい。新たな希望や目標は、多くの市民を巻き込んだ街づくりの議論の中から湧き上がり、気仙沼から三陸、三陸から東北全体へと、広がっていくはずだ。

 

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