国会会期の七十日間延長がようやく決まった。なぜ延長幅をめぐり会期末までもつれなければならないのか。政治が主権者である国民のためにあることを国会議員が忘れていると思わざるを得ない。
日本は今、非常時だ。東日本大震災からの復興、福島第一原発事故の収束に向けて、成立させるべき法律、予算は山積している。
例えば、二〇一一年度第二次補正予算案や、被災者の二重債務、原発事故の損害賠償、がれき処理の国費負担に対応する法案だ。
赤字国債を発行する公債特例法案も、成立しなければ一一年度予算に歳入欠陥が生じる。深刻な影響を受けるのは国民の生活だ。
国会を延長して、与野党がともに建設的な議論を通じて立法という責務を全うするのは当然だ。年末まで延長して「通年国会」にしてもいい。国民の多くはそう考えているに違いない。
いまだに八万人以上が避難所暮らしを余儀なくされている中、国会議員が夏休みなど取っている余裕はないはずだ、と。
しかし、延長をめぐる迷走、対立をみると、国会議員には被災地や国民の思いが届かず、本来すべき仕事を忘れてしまったのではないかと、唖然(あぜん)としてしまう。
迷走の責任はまず与党民主党にある。延長幅をめぐり百二十日、五十日、七十日と二転三転した。これは延長国会でどの法案を処理するのか、菅内閣と党執行部に明確な設計図がないのが原因だ。
菅直人首相が、太陽光など自然エネルギーで発電した電力を固定価格で買い取る再生エネルギー特別措置法の今国会成立を突然言い出したのも、不自然極まりない。
時期は明示せずとも、一度退陣に言及した首相が地位に恋々とするのは、見苦しいばかりか国益を毀損(きそん)する。衆院で三百議席を超える巨大与党が首相に「鈴」を付けられないのも、どうしたことか。
野党も首相退陣に固執するのではなく、自ら提出する議員立法を含めて必要な法案の成立には、これだけの延長幅が必要だと求める気概があってもよかった。
与党が参院で過半数に達しない「ねじれ国会」では、野党も国政運営の責任を共同で負うことを、忘れてもらっては困る。
駆け引きは政治の常だが、非常時に不毛の対立など許されない。与野党合意なき延長で対立激化が避けられないとしても折角(せっかく)の国会延長だ。国民、特に被災者の思いに応える論戦を交わしてほしい。
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