東日本大震災の被災地は広大だ。復興までの道のりにはボランティアの伴走が欠かせない。私心を捨てて寄り添い、手を差し伸べる存在は力強い。善意の活動がたゆみなく続くよう知恵を絞りたい。
まだまだゴールは見えない。やるべきことは山ほどある。大勢のボランティアの助けが要る。
震災から三カ月余り。宮城県石巻市で支援活動を続けているNGOピースボート(東京)の共同代表山本隆さんの率直な思いだ。
一九九五年の阪神大震災では被災者となった。その体験を踏まえると、石巻市の再生への歩みはものすごく遅い。
神戸市では焼失した地域を除き、家はつぶれても職は残った人が多かった。仮設住宅に入れば自立に向けてどうにか前進できた。だが石巻市では家も職も失い、仮設住宅に移ったところで生活再建の道筋が見えない人が圧倒的だ。
被災者は懸命に立ち直ろうとしているが、時間がかかる。だからこそ、ボランティアによる息の長い支援が大事になる。山本さんはそう訴える。
石巻市に限らず被災地がボランティアに寄せる期待は大きい。津波をかぶった住宅の泥出しや家財道具の片付け、がれきの撤去と力仕事は山積している。避難所で配る物資の仕分けや炊き出しを手掛ける人手も不足しがちだ。
高齢者や障害者のケアをしたり、子どもの学びや遊びの世話をしたり。ささやかな心遣いに癒やされ、勇気づけられる人もいるだろう。現地が復興の軌道に乗り、落ち着いた暮らしを取り戻すまで物心両面で支えたい。
学生は頼もしいボランティアの担い手だし、被災地での体験は成長の肥やしとなるに違いない。
明治大は震災ボランティアに単位を認めることにした。三重大は原則として、ボランティアで授業を休んでも補講などでの埋め合わせができるようにした。大学は学生の背中を押す仕組みをどんどん工夫してほしい。
社会人が貢献しやすい環境づくりも大切だ。震災を契機にボランティア休暇制度を設けたり、拡充したりする企業が増えているのは喜ばしい。旅費や装備品の調達費などを援助すれば、利用率も高まるはずだ。シニア世代の手を借りるのも一案だろう。
ボランティア活動を終えて現地を離れても、手紙やメールで被災者とのやりとりを続けたい。「いつまでも忘れない」というメッセージが心の支えになるという。
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