HTTP/1.1 200 OK Date: Sun, 19 Jun 2011 22:07:09 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:週のはじめに考える アラブの春は遠くとも:社説・コラム(TOKYO Web)
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【社説】

週のはじめに考える アラブの春は遠くとも

2011年6月19日

 「アラブの春」はまだつぼみかもしれません。それでもその歴史の潮流はだれにも止められないでしょう。その先には中東和平という大目標があります。

 チュニジア、エジプトと続いたアラブの春は、リビアやシリアなどでは頓挫しています。それどころか流血の惨事です。

 でも世界史を思い出してください。この地域では、一帯を支配していたオスマン帝国の弱体と崩壊に伴って、「アラブの覚醒」とも呼ばれる独立運動が始まり、次いで先の大戦後には、エジプトの軍人ナセルの率いる自由将校団がファルーク国王を倒すような革命が広がりました。

◆歴史問題の政治利用

 しかし落ち着くまでには時を要したものです。不公平は築かれ、不公平は打ち壊される。それが歴史の教えなら、アラブの春はどの不公平な国にも来るはずです。

 そのアラブ世界で抜きがたいとげが、イスラエルに土地を占領されているパレスチナの問題、いわゆる中東和平問題です。

 地球儀で見たら点ほどのごく狭い地域のことですが、アラブ・イスラム世界からみれば、長く同胞を苦しめ、イスラムの聖地でもあるエルサレムが侵害されている大問題なのです。

 この種の問題は大きければ大きいほど、また国民の感情に訴えやすいほど、権力者がたくみに政治利用し、また民衆を操ってきたことも歴史の教えです。実際、一九三〇年代にはオスマン帝国から独立したばかりの国王らが主導権争いの道具とし、現代では湾岸戦争の当事者、イラクのサダム・フセイン元大統領、またアルカイダのビンラディン元指導者もそうでした。

 当事者を越えて利用されることが、この種の問題をいっそう複雑化し、深刻にもさせるのです。

◆アラファトの白い手

 こんなことを思い出します。

 九〇年代半ば、パレスチナのガザでアラファト議長と記者会見のあと、握手をしたことがありました。

 議長の手は白く柔らかで、むしろ女性的な印象でした。これが、イスラエルが、長く、テロリストの親玉と憎んできた人物の手なのかと、驚きつつ握り返したのですが、この手と握手して自国の青年に暗殺されたのが、イスラエルのラビン首相でした。

 九三年九月、米国ホワイトハウスの芝生の上で行われた暫定自治協定調印式でアラファト議長が笑顔で手を差し出し、ラビン首相は文字通り、苦虫をかみつぶしたような顔で応じました。二人の握手は当時のクリントン大統領の懇請でした。しかし首相は中東流のハグ(抱き合い)だけは断ったといいます。

 首相の回想録によると、調印式に同行する予定だった女性が、出発直前の空港で、私には耐えられません、と言って辞退したそうです。テロで夫と娘さんを殺されていました。「あの男(アラファト議長)の手は握れません」と言って、それでも平和の実現だけは首相に託したのです。

 流血の歴史の幕引きは、血を流した者にはもちろん容易にできるものではない。だから政治が必要なのですが、そのためには結局、政治の民主化が必要です。恐るべき決断のためには政治は民衆の理解と支えなしには行動できない。とりわけ譲歩の必要な場合は。

 オバマ米大統領は先月、六七年の第三次中東戦争前の休戦ラインをもとにイスラエルとパレスチナの領土を決めようと演説しました。そのラインは過去の交渉と同じです。

 新しいのは、アラブの春が進行中であることです。米国は、これまで、イスラエルびいきの二重基準、ダブルスタンダードだといわれてきました。しかもそれを支持してきたのは、だれあろう、エジプトをはじめとするアラブの独裁政権でした。口では和平を唱えつつ、民衆の本当の願いを抑えつけてきたのです。

 米国の二重基準がなくなり、アラブの春が進めば、血を流すことの愚かさに気づく人々はもっと増えるはずです。血を流すのは指導者でなく民衆だからです。

◆中東和平の達成こそ

 パレスチナでは若者のデモのあと、分裂政府が統一に向かった。エジプトのイスラム同胞団は、経済発展にも外交にも成功し、先日選挙にも勝ったトルコのイスラム政党のやり方を学習中です。

 未来とは安定か挑戦のいずれかです。パレスチナとイスラエルの人々が握手できる日は、政治が人々のものとなるほど近づくにちがいありません。アラブの春とは挑戦なのです。

 理想かもしれないが、そこに本物のアラブの春は遠からじと期待を込めたいし、春の証しとは中東和平の達成だとも思うのです。

 

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