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福島第一原発事故の被災者に対する東京電力の損害賠償を支援する法案が、14日にも閣議決定される。株主や、貸手である金融機関の責任を問わず、東電の温存を前提とした今回の政府[記事全文]
「身近で頼りがいのある司法」を掲げて司法制度改革審議会が意見書を公表して10年になる。裁判員裁判をはじめ、意見書を踏まえて導入された施策はおおむね順調に推移してきた。政治、行政、司法と続いた[記事全文]
福島第一原発事故の被災者に対する東京電力の損害賠償を支援する法案が、14日にも閣議決定される。
株主や、貸手である金融機関の責任を問わず、東電の温存を前提とした今回の政府案は、当初から多くの問題点が指摘されてきた。
にもかかわらず、ここにきて法案の決定を急ぐのは、事故対応に追われる東電の先行きに不透明感が強まる中、政府の関与をあらためて示しておく必要があるとの判断からだという。
だが、国会は菅直人首相の退陣表明をめぐって紛糾が続く。賠償関連法案についても自民党は別途、議員立法を提案するなど対抗する姿勢を見せており、政府案が成立する見通しは立っていない。
そもそも政権内に、本気でこの賠償策を進めようという意志が見えない。「東電が株主総会を乗り切るための時間稼ぎ」との声すらある。早晩行き詰まるのは目に見えている。
ここは、やはり法的整理へと踏み出すべきだ。
賠償金総額は東電の支払い能力を超えることが確実で、東電は事実上の破綻(はたん)状態にある。不足分はいずれ電力料金か税金により国民が負担することが避けられない。
そうであれば、破綻の手続きを踏み、透明な手続きの中で株主や貸手にも責任を分担させ、少しでも国民負担を小さくするべきだ。
当初、影響が懸念されていた金融市場は、東電株の下落などを通じて破綻を織り込みつつある。むしろ、地域独占の電力会社が、巨額の負債を抱えながら何年も国の管理下におかれる弊害のほうが心配だ。
設備投資が抑制され、人材が流出していけば、肝心の電力供給に懸念が生じ、日本経済にさらなる打撃を与えかねない。
東電以外の発電業者に事業拡大や新規参入を促し、電力の安定につなげる。同時に再生可能エネルギーへの投資・普及などを通じて経済を活気づける。こうした改革を進めるためにも、東電という組織の維持にこだわるのではなく、東電が培ってきた技術や資産、人材の有効利用を考える方がずっと生産的だ。
ただ破綻処理をすると、法律的には賠償債権もほかの債権と同様、一律に削られることになる。そこは新たな立法などで、被災者が正当な金額を受け取れるよう、不足分を国が保障する措置をとる必要がある。
賠償対象の決定や東電の資産査定と並行して、枠組みの抜本的な見直しを求めたい。
「身近で頼りがいのある司法」を掲げて司法制度改革審議会が意見書を公表して10年になる。裁判員裁判をはじめ、意見書を踏まえて導入された施策はおおむね順調に推移してきた。政治、行政、司法と続いた一連の改革のうち、最も実を上げているといえよう。
そんななか、法律家の養成問題が厚い壁に直面している。
一度の試験の点数を競う旧司法試験の弊害を踏まえ、教育の過程を重視する法科大学院制度が始まり、新司法試験の合格者も年2千人と10年前から倍増した。だが苦労して大学院を出ても合格するとは限らない、弁護士になっても就職事情は厳しいという現実があり、リスクを嫌い志望者は減少傾向にある。
司法を担う層がしっかりしなくて困るのは、利用する普通の人だ。法科大学院を中核とする養成の理念は堅持しつつ、定員の見直しや乱立した大学院の改編、法曹の道に進まなかった卒業生の処遇など、踏み込んだ対策に取り組む必要がある。
法曹関係者だけでなく、経済界、労働界、消費者問題の専門家らが入った政府の検討会が先月発足した。利害や思惑を超え充実した議論を期待したい。
その際、何より大切なのは市民・利用者の視点である。
例えば、弁護士が増えると競争が激化し食べていけない、人権活動もおろそかになるとして法曹人口の抑制を唱える声が根強くある。ずいぶん身勝手な主張と言わざるを得ない。
数の増加は質の低下を招くとの指摘も聞かれる。事実なら手当てが必要だが、そこでも法律家に求められる質とは何かという問題意識をもつ必要がある。
相談者の来訪を待ち、裁判所向けの書面をつくる。昔ながらの弁護士像を前提にするだけでは展望は開けない。
世の中には、権利を主張できぬまま福祉や医療サービスの外に置かれ、だまされても警察に相談することすらかなわない、そんな人も少なくない。企業、役所、NPOなど法的素養が求められる場はいろいろある。
たしかに改革審が想定したほどの出番はまだ見えないかもしれない。だが、市民との距離を縮めて真のニーズを掘り起こす努力もそこそこに、縮小安定の世界に逃げ込んでしまっては、法の下でだれもが平等・対等に生きる社会は実現しない。
司法試験のあり方や合格後の修習についても、同様に旧来の発想や基準にとらわれずに再検討することが必要だろう。
人材をどう育て鍛えるか。次の10年の成否がかかっている。