HTTP/1.1 200 OK Date: Sun, 12 Jun 2011 21:09:43 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:週のはじめに考える 語り合いから復興を:社説・コラム(TOKYO Web)
東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 社説・コラム > 社説一覧 > 記事

ここから本文

【社説】

週のはじめに考える 語り合いから復興を

2011年6月12日

 大津波による死者たちがのこしたものは、地域独自の暮らしや文化、コミュニティーです。その基盤を忘れず、語り合いから復興を考えたいものです。

 一九三三年の昭和三陸地震津波、六〇年のチリ地震津波、そして、今回の大津波。三回も津波の被害に遭ったお年寄りが、岩手県大船渡市には何人もいます。

 田中ヨシ子さん(85)もその一人です。「昭和の津波は七歳のとき。半鐘が鳴り、母親におんぶされて避難したのです。チリのときは潮が川のようだった。地震がないのに津波がきて驚きました。集落は全滅。でも、今度のが一番すごかった。元気に畑仕事していた姉は、今も行方不明です」

◆「いざ」に備えた契約会

 昭和の津波のとき、四歳だった鈴木ケイ子さん(82)は、前日に友達と津波が来る「ままごと」をしていたそうです。「津波の後、親戚の家で夜を明かし、翌朝、家に行ってみると、道路の向こう側にあったお菓子屋が、うちの前まで来ていました。チリのときは、二歳の子どもをおんぶし、四歳の子を自転車のかごに乗せ、荷台には風呂敷に包んだ着物。坂道を上がったときに水が来ました」

 避難所で三カ月も暮らす二人は「今回の災害も何とかなりますよ」と語ったりします。同市内の赤崎地区の人ですが、大災害に遭いながら気丈でいられるのは、地域のコミュニティーと無縁ではないでしょう。

 同地区の一部集落では「佐野契約会」という地域組織があります。結成されたのは、幕末期というから驚きです。そのころは社会が大激動し、物価も高騰して、庶民の暮らしを直撃しました。先人たちは荒れ地を開拓し、作ったコメを換金し、蓄えて、いざという時の備えとしたのです。

◆文学的なデザインで

 「一、信心はまことのあらわれ」「一、親孝行は我が子孫のため」「一、堪忍のならぬは心の掃除たらぬため」…。三十カ条にのぼるおきてを契約会は連綿と守っています。「嘉永四(一八五一)年の定め」と呼ばれています。

 今でも一月の「成人の日」には元服式が行われ、十五歳になった少年少女が母印を押し、ジュースの杯を飲み干して、契約会に入会する儀式が行われています。かつては血判を押したそうです。

 チリ地震津波では死者・行方不明者が百四十二人にのぼり、最大の被災地が大船渡市でした。

 「このときは、佐野契約会が炊き出しをして、被災者の支援をしたと聞いています」と、同会役員の佐々木毅さん(50)。「でも、今回の地震・大津波では契約会としては、炊き出しも、何も活動することができませんでした」

 あまりにも被害が大きすぎたためです。毅さんの家も高さ二・七メートルまで水につかり、ほぼ全損状態でした。会長の佐々木純さん(53)は勤め先が陸前高田市にあり、地震後、大急ぎで自宅に戻りましたが、「自分の家が波に流されていくのを見ました。屋根だけがぷかぷかと浮いていたのです」。

 純さんは親戚の家へと移りました。公務員の毅さんは避難所で寝泊まりしつつ、市でつくる災害対策の赤崎地区本部に詰め、被災者対応にあたりました。落ち着く暇などない三カ月が過ぎました。

 誰もが心配なのが、「今後」です。復興をどのように考えたらいいのでしょうか。

 哲学者の内山節さんは「町が根こそぎやられても、人のつながりはなくなっていません」と指摘します。地域差はあるにせよ、土地の文化もコミュニティーもゼロになったわけではありません。独特な習俗や歴史が積み重なった思いがあります。

 内山さんはそれを「文学的なデザイン」と表現します。「日本社会は自然と人間、生者と死者でできています。地域に何が残っているのか、見つけ直さねばなりません。その基盤の上に復興はあるはずです。だから、一律な復興計画は意味がありません。地域の人々が語り合うことが出発点です」

 三陸地方には入り江ごとに大小の「まち」があります。住民組織で自分たちのまちづくりを考えるのは当然でしょう。地域が「主体」になって、コミュニティーの修復や維持ができてこそ、明日の希望につながるはずです。

◆家は建っても「まち」が

 佐野契約会会館の三十二畳の畳は、新しく取り換えられました。佐々木毅さんは「むしろ、これからが契約会の役割を果たすときです」と言います。「幕末からの互助精神の伝統は生きています。人任せでなく、まちづくりを積極的に話し合っていくつもりです」

 どんなまちにしたいか。地域の思想を抜きにして、復興計画を描くと、家は建っても、「まち」がなくなる“逆説”を招いてしまいます。

 

この記事を印刷する

PR情報





おすすめサイト

ads by adingo