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2011年6月12日(日)付

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大津波3カ月―観測網の整備急げ

東日本大震災から3カ月がたった。1万5千人を超える犠牲者のほとんどが津波による水死だった。行方不明者はなお8千人にのぼる。恐ろしさを改めて思い知らされた津波の発生を今後[記事全文]

大津波3カ月―記憶を記録すること

ぐしゃっと運転席がつぶれた消防車が、駐車場にひっそりたたずんでいる。3月11日、宮城県名取市の消防団員3人が乗り込み、避難しない住民を説得して回るうち、津波にのみこまれ[記事全文]

大津波3カ月―観測網の整備急げ

 東日本大震災から3カ月がたった。1万5千人を超える犠牲者のほとんどが津波による水死だった。行方不明者はなお8千人にのぼる。

 恐ろしさを改めて思い知らされた津波の発生を今後、どうやっていち早く察知し、伝え、逃げるか。観測・通報体制の点検と整備を急がねばならない。

 気象庁は今回、地震発生の3分後に大津波警報を発令し、その1分後に波高を岩手、福島3メートル、宮城6メートルと予想した。

 岩手と福島の警報が6メートル、宮城が10メートル以上に引き上げられたのは地震発生から28分後。最初の津波が街を襲いつつあった。

 地震で停電し、修正した警報が伝わらない自治体があった。第一報を津波の高さと受け取り、「2階にあがれば」と高台に逃げなかった人もいた。

 現在の津波警報は1999年に導入された。地震の規模と震源から、どんな高さの津波がいつ到達するか、10万通りの想定をつくり、データベースにしている。それをもとに地震から3分後に発令するのが目標だ。

 今回は強烈な揺れで、海溝型地震の波形を観測できる地震計の多くが振り切れてしまった。それが津波を低く見積もり、修正に手間取った原因になった。

 激しい揺れに対応できる強震計の設置を優先して進めたい。

 115年前の6月15日に起きた明治三陸地震は、震度3程度だったが、30分後に大津波が襲い2万2千人が犠牲になった。

 断層の破壊がゆっくり進むと、地震動に比べて津波が大きくなる。「津波地震」と呼ばれるタイプで、東海・東南海・南海地震でも可能性が指摘されている。これへの備えも必要だ。

 海洋研究開発機構が東南海地震の想定震源域に導入した津波監視システムが参考になる。

 紀伊半島沖の長さ120キロ、幅60キロの範囲の海底20カ所に津波を感知する水圧計などを配置し、実測データを解析する。50億円をかけて5年がかりで整備し、今春に稼働した。

 日本列島の太平洋側では、海溝型地震がどこで起きてもおかしくない。こうした実測データの観測網を震源域ごとに整備すれば、精度は格段に向上する。

 今回の津波は、警報発令のあり方に大きな教訓を残した。

 気象庁は勉強会を立ち上げ、秋までに改善策をまとめる方針だ。波高を細かく明示せずに避難を呼びかけるアナウンスも検討することになるだろう。

 一方で警報だけに頼らない心得も徹底したい。いざという時、一刻も早く高い場所に逃げる習慣が命を守ることになる。

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大津波3カ月―記憶を記録すること

 ぐしゃっと運転席がつぶれた消防車が、駐車場にひっそりたたずんでいる。

 3月11日、宮城県名取市の消防団員3人が乗り込み、避難しない住民を説得して回るうち、津波にのみこまれた。マイクを握った遺体とともに、砂まみれで見つかった。

 市内でクリニックを開く心療内科医の桑山紀彦さんが、市から譲り受け、勇気を伝える証しとして、展示を計画中だ。

 クリニックには、心の傷が癒やされないままの人たちが、毎日やって来る。

 首まで水に漬かる夢を、週に何度も見るおばあさん。いまも風呂に入るのが怖い。子ども3人と夫を一度に失い、家族連れでにぎわうスーパーに足を運べない奥さん。突然涙が出てくるなど、感情の揺れに苦しむ。

 桑山さんはこうした人々が、あの日どんな体験をし、その後どんな気持ちが起きたか語るのを、了解を得てビデオに収める作業も進めている。

 人間は忘れる生き物だ。

 でもきちんと忘れてゆかないと、ゆがんだ記憶にさいなまれ続ける。深刻な心的外傷後ストレス障害(PTSD)が心配される時期だ。予防や回復のためにも、そばでじっと耳を傾けることが必要だという。

 消防車のようなモノと共に、被災者の証言を集めた資料館をつくろうと、桑山さんは提案する。過酷な体験を教訓の物語に変え、後世に残す。その過程を通じて、傷ついた被災地の心は再生するのだ、と。

 独立行政法人の防災科学技術研究所は、災害直後から自治体やボランティアに呼びかけ、被災地の過去・未来・現在の記録を集めて、ウェブなどで公開する計画を始めた。

 多くの住民がとっさに撮った津波の映像。避難誘導にかかわった人たちの証言。防災教育や津波対策に生かすべき貴重な資料だ。震災前も含めた街の復興の記録は、コミュニティーが再生する手がかりになる。

 ネットではヤフーやグーグルが、震災関連の写真や動画の投稿を募っている。自衛隊をはじめ様々な政府機関も、膨大な映像やデータを持つはずだ。

 未曽有の大災害の記録を社会の共有財産にすることは、官民あげて取り組むべき課題だ。著作権などを尊重しながら、各機関が囲い込むことなく、網羅的な震災データベースを構築できないものか。

 被災地を離れると――たとえば国会――惨禍を忘れたかのような時間が進む。記憶を記録することの大切さを痛感する。

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