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目が心のありようを映す小さな湖面なら、鼻は自尊心を象徴する山脈だろうか。人はときに鼻高々になり、いい気になって鼻を明かされたりする。その鼻を奪われた女性の肖像に、見る人だれもが声を失う▼今年で54回目の世界報道写真展がきのうから東京で始まった(8月7日まで)。10万8千点から選ばれた今年の大賞は、正視するのがつらい。鼻を切り落とされたアフガニスタンの若い女性が、おびえと悲しみを湛(たた)えた目を、しかし決然と、レンズに向けている▼暴力をふるう夫から実家へ逃げ帰ったが、反政府武装勢力タリバーンに「逃亡の罪」を宣告され、夫に鼻と耳をそぎ落とされた――と説明がある。きびしい姿は、貶(おとし)められた尊厳を訴えてやまない▼構図と表情の似た一枚の写真が脳裏で重なる。長崎で被爆した片岡津代さんを東松照明(とうまつ・しょうめい)さんが写した50年前の作だ。顔の右半分に傷痕が残る。自分をさらすのはつらかった。でも東松さんを信じたと片岡さんは語っている▼その一枚は世界に知られ、大勢のカメラマンが彼女を撮りに来た。幾多のレンズがケロイドに向けられた。だが、「東松先生だけは、傷のない左側からも撮ってくれた」。人を撮ったか傷を撮ったか。違いが見る者に伝わらぬはずはない▼写真展を見ると世界を覆う悲痛の多さに胸が痛む。報道の使命と、人の受難を「消費財」となす錯誤は、ほとんど一歩のきわどい距離にあろう。その一歩の逸脱なきや。自戒しつつの、日々のコラム執筆となる。