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虫好きの少年を通して命の尊さを描いた『クワガタクワジ物語』(中島みち著)に、主人公の太郎が縄文時代の子を思う場面がある。「シカかなんかの皮のふんどしをして、これとおんなじクワガタと、遊んでいたのかなあ」▼数億年前に現れた昆虫は、生き物の種の過半を占める。『虫の文化誌』(小西正泰著)の表現を借りれば、人類はずっとあとから「昆虫王国」のただ中に生まれてきた▼縄文時代の晩期、2500〜2800年前のノコギリクワガタが、ほぼ完全な姿で奈良県の遺跡から見つかった。「王国」の片鱗(へんりん)である。大型昆虫がきれいに残ったのは、泥中に密封されたためらしい。雄々しく曲がった大あごは現生種と変わらない▼太郎がクワジと名づけたコクワガタは冬を二つ越したが、ノコギリの成虫はひと夏限りとされる。その命が一閃(いっせん)したのはどの年なのかと、黒光りの個体に問うてみたい▼虫を愛(め)でる文化は古く、平安貴族もスズムシやホタルを楽しんだ。だが、あらゆる生き物と共生した縄文人ならば、クワガタとて「挟まれると痛いやつ」以上のものではなかっただろう。子に遊ばれはしても、店先に並ぶことはない。〈鍬形(くわがた)の値札引きずり売られけり〉渋谷雄峯▼人であれ虫であれ、生まれ合わせには運不運がつき物だが、損得を超えて確かなことがある。支配者を気取る一つの種の都合で、動植物が振り回される時代はそれほど続くまい。この夏、虫たちは放射能も知らずに飛び回る。合わす顔がない。