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6月7日付 編集手帳

 「天守閣」でなく「天主閣」と書くのは織田信長の築いた安土城だけだという。いわれは諸説あるらしいが、その人が天主(神)のそばにいるかのようで、天才肌といわれた革命児の生涯にきらびやかな光を添えている◆〈織田がつき、羽柴がこねし天下餅…〉の落首にあるように、信長が本能寺の変で没したのち、天下統一の事業を引き継いだのは豊臣(羽柴)秀吉である◆秀吉が修正を命じた可能性があるという。京都・大徳寺所蔵の「織田信長像」は当初の絵を大幅に描き直したものであることが京都国立博物館の調査で分かった◆信長像は狩野永徳の筆と伝わる作品で、信長が没して2年後に表装されている。伝わる絵の裏側から見つかった当初の絵は衣装がずっと華やかで、脇に差す刀も1本多かった。より地味に描き直したことになる。天下取りの前任者が派手できらびやかだと、後任者の心理としてはあまり愉快でなかったか――あれこれ想像してみるのも楽しい◆かつては同じ的を狙って戦場を共に駆けた間柄でも、前任者と現職の仲は常に微妙である。「ペテン師」と呼び、呼ばれることさえある。

2011年6月7日01時17分  読売新聞)

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