日本で一番新しい山をご存じだろうか? 答えは、一九九一年に大火砕流が起きた長崎県の雲仙・普賢岳山頂にできた溶岩ドーム。噴火が終息した後、「平成新山」と名付けられた▼四十三人が犠牲になった火砕流から二十年。「定点」と呼ばれた場所に立った。火砕流を正面から撮影するために報道陣が待機したところだ。おびただしい岩石と焼けただれた消防団の車が、当時の惨状を生々しく伝える▼避難勧告区域の無人の住宅に上がり、電源や電話を使った一部の報道関係者がいることが分かり、消防団は警戒線を引き上げていた。六月三日午後四時八分に発生した大火砕流はその定点を直撃した▼十六人の報道関係者以外にも、同行していたタクシー運転手四人、警戒に当たっていた消防団十二人、警察官二人も巻き込む形になった。メディアにかかわる者は忘れてはならない痛恨の被災だった▼火砕流の跡地には、地元の人たちがクヌギなど二万本近い樹木を植えている。空から種子や肥料をまく事業も実施された。人の背丈以上に育っている木もある。荒れ果てた大地に、緑が点々と広がる光景には希望を感じる▼避難生活は長く続いた。終息宣言が出たのは大火砕流の五年後。復興への歩みを進めながら、火山との共生を目指した島原市などの取り組みから、東日本大震災の被災地が学べることもあるだろう。