政府が消費税引き上げに動き始めた。東日本大震災の復興が進まず、景気も不透明感が漂う中、なぜ増税なのか。現実味が薄いとはいえ、議論するなら政府自身の無駄減らしと効率化が不可欠だ。
内閣府が税と社会保障の集中検討会議に提出した有識者らによる報告書は現行5%の消費税率の「段階的な引き上げが望ましい」と提言した。具体的な上げ幅には言及していないが、政府が描いているのは二〇一五年度までに2〜3%ずつ二段階に分けて10%に引き上げる案だ。
日本の財政事情はたしかに厳しい。国と地方の債務残高は国内総生産(GDP)の二倍に迫り、資産を差し引いても主要先進国を上回っている。財政再建が必要なのはその通りだろう。
だが、問題は増税を考えるタイミングと土俵の設定である。
いま増税が適切な時期かといえば、とてもそうはいえない。戦後最大の危機下にあって、企業活動は急減速を余儀なくされた。景気は低迷し、人々は先行きに不安感を抱いている。そんなときに増税話が強調されれば、家計の消費は一層冷え込むに違いない。
消費に直結する商店主だけでなく企業も「大震災で大変なのに」と思いが募るのではないか。
報告書が前提にしているのは、年金や医療、介護といった社会保障経費に消費税を充てる考え方だ。だが、そもそも社会保障財源に消費税を充当するという案が十分に検討済みとはいえない。たとえば、地方の財源はどうするのか。多くの地方自治体が国からの地方交付税頼みで自主財源の充実が悲願になっている。
社会保障財源という形で増税分の多くを国が受け取ってしまえば、地方はいつまでたっても自立できない。むしろ、消費税は地方の基幹財源にする考え方もしっかり検討すべきである。
復興構想会議でも、復興財源を増税で賄う議論がある。「そちらも消費増税で」となるなら、増税はなんのためか、訳が分からなくなってしまう。
なにより政府の無駄遣いや非効率が残っている。たとえば国と地方の二重行政のような大きな問題点は長年指摘されながら、霞が関の抵抗で解消していない。肝心の社会保障でも、菅直人首相が取り組むはずだった高所得者の年金見直しや高齢者の窓口負担増など効率化策も検討の途上だ。
政府がやるべき改革をせずに増税に傾斜しても納得できない。
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