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2011年5月28日(土)付

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幻の注水中断―いい加減にしてほしい

大いなるフィクションに世間が大騒ぎをさせられた。国会でも、この虚構をもとに野党と政府が激しくやり合った。福島第一原発の事故発生翌日、1号機への海水注入が55分間中断した[記事全文]

厚労省と学会―このもたれ合いは何だ

はしなくも日ごろのもたれ合いが露呈したということか。肺がん治療薬イレッサの副作用をめぐる訴訟で、今年1月、複数の学会やその役職者が裁判所の和解勧告を批判する声明を公表し[記事全文]

幻の注水中断―いい加減にしてほしい

 大いなるフィクションに世間が大騒ぎをさせられた。国会でも、この虚構をもとに野党と政府が激しくやり合った。

 福島第一原発の事故発生翌日、1号機への海水注入が55分間中断した事実はなかった、というのである。

 東京電力の訂正報告が本当なら、福島第一の所長が東電本社の指示に従わず注入を続けたことを経営陣が2カ月以上も知らなかったことになる。会社の体をなしていない。

 所長の判断には理解できる面がある。壊れかけた原発で、注水の中断は、絶対してはいけないことだったのだろう。

 ただ、それで強行突破したのなら、事後に本社に伝え、本社は中断指示の経緯も含めてすぐに公表すべきだった。

 事故直後、分単位でどんな手を打ったかは、事故の拡大防止を考えるときに欠かせない基本情報だからだ。

 結果的に正しい判断だったとしても、政府や東電の発表内容に対する信頼が大きく損なわれた。こうしたことが続けば、事態収拾への道筋に悪影響を与えるばかりでなく、国際的な信用も失ってしまう。

 もっと深刻なのは、政府と東電本社と現場とが、現在にいたってもバラバラで連携できていないことが、発表をめぐる混乱を通して露呈した点だ。

 互いに責任を転嫁するばかりで、いまだに事実関係すら明確にできない。

 東電から海水注入の方針を告げられた政府がすぐに了承しなかったのはなぜなのか。最終的な指示を出すまで、どんなやり取りがあったのか。

 政府は「再臨界の可能性を検討した」という。だが、専門家は一様に「真水から海水への切り替えで再臨界の可能性が強まることはない」と指摘する。

 ならば、原子力安全委員会や東電幹部らが、一刻も早い注入を首相に助言できたはずだ。それとも、首相に聞く耳がなかったのか。

 政府と東電の間で、国民や作業員の安全より政治的な思惑や自身の面目、あるいはトップの顔色をうかがうことばかりが優先されているのだとすれば、言語道断だ。

 福島第一での作業は今も続いている。一つ間違えば惨事につながりかねない課題ばかりだ。

 首相は、現場の判断を尊重しつつ正確な情報をあげさせ、多角的に検討して適切な決定がくだせる態勢を、ただちに整えるべきだ。

 東電が所長を処分して終わりにするような問題ではない。

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厚労省と学会―このもたれ合いは何だ

 はしなくも日ごろのもたれ合いが露呈したということか。

 肺がん治療薬イレッサの副作用をめぐる訴訟で、今年1月、複数の学会やその役職者が裁判所の和解勧告を批判する声明を公表した。ところがそれは、和解に消極的な厚生労働省の要請を受けたもので、三つの学会には官僚が作成した声明文案が提供されていた。

 学会として意見を言うのは自由だ。ただしその場合は、自分たちの頭で考え、自分たちで文章を練り、自分たちの責任で行う。当たり前の話である。学者の良心や誇りはいったいどこへいってしまったのか。

 厚労省の検証チームは「要請は通常の職務の執行の範囲内」だが、「声明文案まで提供するのは過剰なサービスであった」とする調査報告書をまとめた。この総括もまた、一般社会の常識からかけ離れている。

 学会の多数意見は和解に慎重だったというが、同チームも認めるように、独立して行うべき意思決定過程への行政の介入である。それをサービスという言葉で片づける。お手盛り調査ゆえの矮小(わいしょう)化と言うほかない。

 報告書では学会や個人は匿名になっていて、調査の過程や結論を外部から再検証する道は塞がれている。文案の提供は受けていないとされながら、ほぼ文案通りの声明を出した学会もある。背景は不明のままで、全体像の解明に本気で取り組んだとは到底思えない内容だ。

 検証チームを率いたのは厚労省の政務官である。情報公開の旗を掲げ、透明な行政や説明責任の重要性を説く民主党だが、実際はその逆を行っている。

 福島第一原発事故を機に、行政、業界、学界の関係が改めて問われている。イレッサ訴訟でも、薬の承認や安全対策にかかわった医師の中に、当の製薬企業から多額の研究費などを受け取っていた者が何人もいることが被害者側の指摘でわかり、判断や評価に影響が及んだのではないかと論議になった。

 こうした利益相反関係への不信を拭うには、資金の流れを人々の目にさらす必要がある。透明性の向上を求める内外の声を受けて、最近ようやく業界と学会の双方で指針が作られた。

 行政を含む当事者の間に適切な緊張感が保たれなければ、連携や協同は癒着となり、結局は市民が被害を受ける。歴史が、そして現在進行中の原発事故がそれを物語っている。

 声明案の下書きは一見ささいな問題に見えるかもしれない。だが、私たちの社会の奥底にある病巣を浮かび上がらせた。

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