東日本大震災を受けて、ドイツがあらためて原発撤退に踏み出そうとしています。被災国を上回るかのような危機感は何に由来するのでしょうか。
東日本大震災発生の報が世界中を駆け巡った際、海外の知人友人から相次いだ見舞いのメールや電話は、戦(おのの)きに満ちたものでした。
「津波が日本を呑(の)み込んでゆく映像を見た」「原子炉が爆発し、メルトダウンが起きている、とテレビが伝えている。東京は大丈夫か」。過剰ともいえる報道ぶりは当初批判の対象ともなりました。
◆撤退に収斂する民意
皮肉にも、その恐怖感を裏付けるかのような被害実態が日々明らかになっていますが、中でも強い危機感を示したのがドイツです。従来の原発容認の立場を翻し、早期の原発撤退を鮮明にしたメルケル首相の姿勢にその衝撃の凄(すさ)まじさが集約されています。
ドイツが原発撤退を鮮明にするのは、これで二度目です。一九九八年、「統一宰相」のコール首相に代わって政権に就いた社民党のシュレーダー首相は、フィッシャー党首時代の緑の党との連立政権下、原発撤退を主要政策の一つに掲げました。
再生可能エネルギーの開発、原発企業への補償、海外との使用済み核燃料処理契約の扱いなど、撤退実現のための国民的論議は、この時一度尽くされています。妥協を重ねた末とはいえ、原発による発電総量、稼働期間を規定し法制化した内容は、二〇二〇年代に全廃の実現を見据えたものでした。
この方針は、次のキリスト教民主・社会同盟と社民党の大連立政権下でも継続されましたが、一昨年の総選挙で発足した現保守系連立政権は、稼働期間を延長する方針に転換、原発は容認の方向で進むかに見えました。
◆欧州にあっての試み
そこに起きたのが東日本大震災です。発生直後に行われた保守の牙城南部バーデン・ビュルテンベルク州選挙での大敗と、州レベルとはいえ、史上初めての緑の党主導政権誕生は脱原発への回帰を迫るに十分でした。
「原子力発電は再生可能エネルギーにつなぐまでの過渡的なエネルギー、と見る点では国民的コンセンサスができているといえる。あとは、その過渡期の期間をどれだけみるか、という違いだけだ」。ドイツ現代政治専門の森井裕一・東大准教授はこう分析しています。
原発全廃を党是とする緑の党発足以来三十年。社民党、そして保守政党までが原発撤退を決めたことで、ドイツの民意は収斂(しゅうれん)した、といえます。
経済大国たるドイツの地位を脅かすことなく、その転換が実現できるのか。なお道のりには厳しいものがありますが、現在十七基ある原子炉のうち八基が停止し、今後、新規の原子炉建設も見込まれない事情を考えると、撤退後の風景を想像するのもそう難しくない所まできています。
しかし、ドイツの危機感が欧州全体、ひいては国際社会で共有されているか、といえばそうではありません。米国に次ぐ世界第二の原発大国の隣国フランスの原子力政策は、一部に見直し論が出ているとはいえ、容易に揺らぎそうにありません。
フォルカー・シュタンツェル駐日独大使は、事故後二カ月を経て開いた記者会見で、「各国の国家判断を尊重するドイツの考え方に変わりはない」と述べました。ドイツの原発撤退は、あくまで原発を容認する欧州にあっての試みである点も忘れてはならないでしょう。
ドイツは戦後、欧州統合のプロセスとともに歩んできました。ドイツ統一後十年の二〇〇〇年、独仏関係を熟知するルクセンブルクのユンケル首相に両国の政治的な考え方の差について伺ったことがあります。「本質的な違いはないが、あるとすればアプローチの方法だ。ドイツ人は現在の決定が二十年後にどう表れるかを正確に計りたがる。フランス人は長期的な構想にはあまり重きを置かない」。当時から二十年後、原発廃止が実現しているかもしれないという符合は示唆に富んでいます。
◆被災国への問いかけ
戦争の惨禍を繰り返すまい、と戦後一貫して負の歴史を語り継いできたドイツです。次元こそ違いますが、「3・11」を機に将来起こり得る惨禍に想(おも)いを致し、一際(ひときわ)危機意識を募らせているとしても不思議ではありません。
自然を征服してまで人間本位の社会を追求する姿勢が西洋文明のなかにあるとすれば、原発はその一つの象徴でしょう。西欧の中心にあって、あえて脱原発を選択するドイツの危機感は、国際社会、何より、被災国日本の危機感の行方を問うています。
この記事を印刷する