中東では、街中に掲げられた指導者の肖像画の数が、その国の民主化度のバロメーターだといわれる▼まだ三十代半ばだったバッシャール・アサド氏が、父の死去を受け、シリアの大統領に就いたのは二〇〇〇年。しばらくしてダマスカスを訪れた時、まず目についたのは、そこ。肖像画は、いたる所にあった亡父時代とは比べものにならぬほど少なかった▼メディアも、前大統領の名の前に付けていた「我らが永遠なる」といった飾り言葉をやめた。ともに新大統領が命じたことだった。人々は民主化への期待を隠さなかった。そんな空気は当時、「ダマスカスの春」とも呼ばれた▼確かに、そのにおいをかいだ気もしたのだが、十年を経た今、思い違いだったと痛切に思い知らされている。反政府デモに対し激しい武力弾圧が続いている。オバマ米大統領も昨日の演説で、アサド大統領に「変革か退陣か」と迫った▼ただ、この演説の最大の眼目は、イスラエルと将来のパレスチナ国家の国境を「(第三次中東戦争以前の)一九六七年の境界線に基づくべきだ」と明言したことだ。以降のイスラエルの占領と入植を、兄貴分・米国の大統領が否定した意味は大きい▼パレスチナ問題は中東の矛盾の核心だ。もし、そこが正されるなら、域内に広がる民衆革命「アラブの春」も本物になろう。においだけで終わらせたくない。