身近な人の突然の死など過酷な体験をした震災被災者の心の傷は深い。落ち着きを多少とも取り戻したこれからが、心のケアにとっては、むしろ大切な時期だ。地域の絆と周囲の理解が欠かせない。
津波で家を壊された。避難所は満員で、福島県富岡町から千葉県の親せきを頼って着の身着のまま一家は避難した。高校二年の娘さんは「あと一年だから」と、通い慣れた学校に戻りたがった。千葉での再就職をあきらめた父は前の職場に就くことにした。
五月の連休の頃、福島県いわき市内に狭いアパートを見つけ千葉を離れた。富岡町は原発事故の放射能汚染の警戒区域で立ち入り禁止に。財産も失い先が見えない。余震も続く。娘さんの精神状態が次第に不安定さを増してきた。
地震と津波、原発事故の三重苦に見舞われた今度の複合災害。津波から逃げ延びても、多くの被災者が最愛の人を失った。生活の糧の田畑、漁船を台無しにされた人。原発事故で住み慣れた土地から立ち退きを強制された人。被災者の心中はいかばかりか。
過去の例から見ても、大災害の混乱期が過ぎたころから抑えられていた被災者の心の痛手は表面化する。自殺やアルコール依存症、うつ病、心的外傷後ストレス障害(PTSD)など精神疾患の発症が、今後とても心配だ。国や全国からの医療支援が被災地に入り長期戦で心のケアに当たっている。
PTSDは、命に直結する過酷な体験がもとになって発症する。繰り返し悪夢を見る▽つらい出来事を追体験する▽不眠−といった症状に苦しみ、社会に溶け込めないこともある。薬物、心理療法が治療の柱で長くかかる場合が多い。阪神大震災(一九九五年)についてのある追跡調査では、家族を失った遺族の半数余りに今もPTSDの傾向がみられるという。
心のケアには避難所生活を長引かせてはならない。仮設住宅に入居できても、地域のつながりが保てるか。被災者の孤立が最も心配だ。精神科医らは、地域共同体と生活の見通しの保障が何より大切という。計画的避難でも家族がばらばらになる例があった。
被災県だけでなく避難先は首都圏や中部地方など各地に及ぶ。受け入れ自治体は東北の人々のふるさとの絆に十分配慮してほしい。私たち住民の支え合いの心も力になる。被災者に寄り添い、話を遮らず、じっと耳を傾けたい。
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