国際記念物遺跡会議(イコモス)の勧告を受け、中尊寺を中心とする岩手県平泉の文化遺産が来月、東京都小笠原諸島の自然とともに、世界遺産に登録される。東北復興へ、金色の光を投げかける。
鎌倉時代後期の歴史書、吾妻鏡は、金色堂の威容をこう記す。
平安末期から四代百年、東北一帯を支配し、絢爛(けんらん)たる独自の文化を打ち立てた奥州藤原氏。当時の平泉は、京に次ぐ日本第二の大都市だった。豊富な砂金をつぎ込み、浄土をこの世に顕現させた金色堂は、その栄華の象徴であり、京からは「みちのく」と呼ばれた東北の真の力を誇示していた。
世界文化遺産には、二度目の挑戦だ。三年前の世界遺産会議では、「価値の証明が不十分」として、日本勢初の落選を味わった。
世界遺産の登録も千件に近づいて、国連教育科学文化機関(ユネスコ)は新規の登録を抑えている。いくら古い寺院が並んでいても、世界に訴える理念がないと、遺産としての評価を受けにくい。
そこで平泉では当初から、中尊寺落慶供養願文が掲げる「官軍、蝦夷(えみし)によらず、命を奪われし者を極楽浄土に導きたい」との平和の理念、「浄土思想」を柱に据えて、それを表す中尊寺、あるいは毛越寺の庭園などの景観に込められた文化的価値を訴えてきた。今回はイコモスからの指摘を受けて、浄土思想とより関係が深い六資産に絞って再挑戦を試みた。東北初の世界文化遺産になる。
このような難関を経て登録されるということは、建物や仏像、庭園などの外見的価値だけでなく、万民をあまねく救う浄土思想そのものが、世界に通用し得るということだ。平泉周辺だけでなく、東北地方全体の潜在力、観光力を再確認、再構成し、広く内外にアピールするチャンス、災害克服への光明になるのは間違いない。被災した多くの文化財の修復も、加速するのではないか。
落選後の三年間は、周辺の住民がそれぞれに、自らが守るべき地域資産の価値を見直す契機になったと、関係者は振り返る。
傷ついたとはいえ東北は、自然を含め、豊かな資産に満ちている。平泉の世界遺産登録を東北全体の好機ととらえ、住民それぞれが地域に潜む「東北力」を探し出し、私たち旅人にも、その成果をあまねく伝えてほしい。
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