HTTP/1.1 200 OK Date: Sun, 15 May 2011 21:10:31 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:週のはじめに考える ビンラディンを超えて:社説・コラム(TOKYO Web)
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【社説】

週のはじめに考える ビンラディンを超えて

2011年5月15日

 ウサマ・ビンラディン容疑者が米軍により殺害されました。テロなき世界を本当に実現するには一体どうしたらいいのか。何が一番必要なのでしょうか。

 米国のテロとの戦いは9・11で本格化しましたが、そのずっと前のクリントン政権時代、対処も考え方も明確に出されていました。 今振り返っても印象深いのは一九九四年秋、ヨルダン議会でのクリントン氏の演説です。ヨルダン・イスラエル和平条約調印式のあと、彼は高らかに述べました。

◆文明の衝突を望まず

 「米国は文明の衝突を望みません。私たちはイスラムを尊敬します。信仰や労働、家族、社会を大切にするイスラムの価値観は米国の理想とも合致するのです」

 ここでいう文明の衝突とは、よく知られるように、その前年米国の政治学者サミュエル・ハンチントン氏が外交誌に発表した論文をさし、それは冷戦後の世界の枠組みは西洋文明とイスラム、また中国文明との衝突になるだろうという予測でした。それをイスラムの地で、米大統領として敢然と拒絶したのでした。

 リップサービスとは思いたくありません。演説は、困難だが共に乗り越えようという決意表明でした。文明の差異はある。しかしその差異を認め合うことから共存へ向かうことはできないのか。

 演説を聞いた議会では、大きな拍手がわきました。しかし米国文化に反発する原理主義政党の議員はそろって欠席しました。

 クリントン氏は早すぎたのかもしれません。理にかなっているが先進的な考え方は、ほかの政治的問題でもよくあるように、つぶされ、また忘れられたのでした。その結果とは言いませんが、対米テロはイスラムの民衆には広く支持され、西欧社会は見えざる敵としてイスラムへの恐怖と憎悪を深めていったのです。

◆コーラは好きだけど

 九〇年代の半ば、シリアの首都ダマスカスにあるパレスチナ人組織のある代表部を訪ねたことがありました。鉄扉を開けると、肩にカラシニコフ突撃銃を引っかけた、まだ十代と思われる少年が出てきて、日本から来たと告げると、即座にこう言いました。

 「ヒロヒト、カミカゼ、ヒロシマ」

 一般にアラブの人々は日本が大好きです。アジアの仲間であり、小さな島国なのにあの大きな国アメリカと負けはしたがよく戦ったというのです。それはそれで歴史的事実なのですが、アラブ民衆のごく普通の反米意識のあらわれでもあるのです。

 米国のコーラもハンバーガーも映画も好きだけれど、イスラエルへの大きな支援は不公平で正義に反する。そういう歴史意識は世代間で受け継がれるのです。

 今歴史の変化を告げているのは中東民衆革命です。主役の一群はエジプトで言えば、イスラムの教えに忠実なムスリム同胞団とネット世代の若者たちです。

 同胞団の長老と話すと、例えばこんな答えが返ってきます。

 「百年後にはイスラムの方が西洋より勝っているだろう」

 長老は大まじめなのです。過去に栄光があり、今は貧しいが正しい者がいつまでも劣勢でいるはずはないと思っているのです。そこに忍び込んできたのがビンラディン容疑者でした。彼は文明の衝突に見せかけたのですが、実態は欧米の操り人形さながらの長期独裁政権と貧しい民衆との間の深い溝が利用されたのです。

 ビンラディン後に世界がなすべきことは何か。クリントン氏は自伝(「マイライフ」二〇〇四年)で既に簡潔に述べています。(1)テロと大量破壊兵器の不拡散(2)グローバル化の利益を得ていない世界の50%の人々の貧困と悪政からの解放(3)国際協力の強化(4)よりよい米国の追求(5)人間の共通性より差異を見たがる欲望との決別。

 むずかしくとも有効なのは五番目の偏見の克服でしょう。冷戦の後、欧米は宿敵のロシア、異文化の中国やインドとも思いがけないほどつながりを深めました。イスラム世界とも可能なはずです。

◆異なる文化こそ尊重

 その意味でいうならビンラディン容疑者の水葬に対する、イスラム教スンニ派の最古で最高権威のアズハルモスク(カイロ)の抗議声明に注意したい。弔いは必ず土葬であおむけか右脇腹を下にし顔を聖地メッカに向ける。その厳粛が無視されたというのです。

 米国側の事情は分からぬではありません。だが、もし異文化を尊重するというのなら、今からでも遅くはないから、それ相応の発信がほしい。米国に小さなことでもイスラム庶民には大問題なのだ。その逆もまたあるでしょう。相手を正しく見られないことに世界はまだ苦しんでいるのです。

 

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