HTTP/1.1 200 OK Date: Sun, 15 May 2011 01:07:52 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:信楽事故20年 何度でも思い起こそう:社説・コラム(TOKYO Web)
東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 社説・コラム > 社説一覧 > 記事

ここから本文

【社説】

信楽事故20年 何度でも思い起こそう

2011年5月14日

 四十二人の命が失われた信楽高原鉄道事故から二十年となる。主な原因は信号無視だった。六年前には福知山線脱線事故が起きた。人間のミスによる悲劇を繰り返さぬよう、何度でも思い起こそう。

 事故が起きた時、信楽町(現・甲賀市)では「世界陶芸祭」が開かれていた。信楽駅には今、JR西日本の事故車両先頭にあった祭りのシンボルマークが陳列してある。信楽焼を代表するタヌキのイラストをあしらった、直径一メートルほどの鉄製の円盤が無残にねじ曲がっている。こうした事故の資料が駅構内にあるのは全国でも珍しいという。「事故を風化させたくない」という遺族の強い希望だった。

 事故は一九九一年五月十四日に起きた。滋賀県甲賀郡信楽町の信楽高原鉄道の単線で、信楽発の上り列車と、京都発のJR西下り臨時快速が正面衝突した。四十二人の命が失われ、六百十四人がケガをする大惨事だった。臨時に乗り入れていたJR西の列車は通常の二・五倍という超満員で、被害が大きくなった。

 大阪地裁は、信楽鉄道が安全を確認せず赤信号で列車を発車させたことが主な原因とした。判決は、JR西も信楽鉄道に無断で信号設備を設置しており、両社の連絡体制の不備も原因の一つと指摘した。人間のミスが惨事を招いたことは疑いない。信楽鉄道は第三セクターで、当時の経営陣は県や町の出身で鉄道事業への知識や経験が不足していた。陶芸祭のため経験のない大量輸送を迫られ、安全に対する意識が低いまま、無理な運行をした面はないだろうか。

 JR西は二〇〇五年に百七人が死亡する福知山線脱線事故を起こした。私鉄との激しい競争に勝つため、スピードアップによる時間短縮や運行本数の増加を図ってきた。効率優先の考えが、運転士の疲れや安全軽視を招く土壌になったことは否定できないだろう。

 信楽事故の補償金負担を争った訴訟で、裁判所は責任割合をJR西三割、信楽鉄道七割とした。最終的にJR西は、赤字続きの信楽側への求償権を放棄した。信楽鉄道も地域の足として存続する道を選び、控訴しなかった。

 二十年の節目を前に、高原の列車に乗った。閑散としていた駅は夕刻、高校生らの笑顔や話し声に包まれた。二両編成の電車は満員。地域の足として愛され、生活に根づいている。事故の反省を深く胸に刻み、山里の平和な運行がいつまでも続くよう願いたい。

 

この記事を印刷する

PR情報





おすすめサイト

ads by adingo