海上自衛隊のイージス艦「あたご」と漁船が衝突した事故の裁判で、あたごの元航海長ら二人が無罪となった。検察が描く漁船の航跡図そのものを否定した。ずさんな捜査が批判されたといえる。
事故が起きたのは、二〇〇八年二月の房総半島沖だった。午前四時ごろは、月も出て、視認状況は良好で、波や風も潮流も穏やかだった。なぜ、そんな海で巨大なイージス艦と衝突したのか。
最大のポイントは、漁船「清徳丸」がどのような航跡をたどっていたかだ。漁船の測位システムの記録は失われ、乗っていた親子は後に死亡認定された。客観的な証拠がないため、僚船の乗組員らの目撃証言などから推定するほかはなかった。
ところが、横浜地裁の公判で、僚船船長の供述調書が大きく揺らいだ。調書には清徳丸が「自船の左前7度の角度、三マイルを航行」などと角度や距離が詳細に書かれていたが、船長は「この辺と言っただけ」と法廷で証言した。検察側が作成した清徳丸の航跡図も、この調書ができあがる前に既に作られていたことも分かった。
検察が立証の柱とした航跡図のほころびが、公判段階で浮かんでいたわけだ。判決が「(検察が先に作成していた)航跡に沿うようにするため、恣意(しい)的に船長らの供述を用いた」と検察側を厳しく指弾したのは当然だ。
海難審判では「あたごに回避義務があった」と認定したのに対し、判決は「清徳丸に回避義務があった」と正反対の結論になった。それは清徳丸が直進すれば、あたごの艦尾から数百メートルを航行したはずが、衝突前の三分前に清徳丸が右転し、衝突の危険が生じたと、裁判所が判断したためだ。
原因究明と再発防止に主眼がある海難審判と異なり、刑事裁判では個人の刑事責任が問われる。一般的に立証のハードルは高いといわれる。検察側の立証に対して、判決は「航跡の特定方法に看過しがたい問題点がある。証拠の評価を誤った」とも言及した。
そもそも「起訴ありき」の捜査ではなかったかという疑問も湧く。無罪となった被告は「地検は有罪ゲームに勝つだけの組織なのか」と訴えた。捜査の在り方をもう一度、点検してみる必要があろう。
回避義務がなかったとはいえ、あたご側の動静監視が十分だったとはいえまい。二度と悲惨な事故を起こさぬよう海自側にも再点検が求められる。
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