自由律の俳人として知られる荻原井泉水(せいせんすい)に、こんな一句がある。<空はさびしよ家あらば烟(けむり)をあげよ>▼それは昔、その里に、人の暮らしがあることを示す印のようなものだったろう。でも、もし今がまだ竈(かまど)で煮炊きをする時代だったとしても、その「区域」には、あちこちの家から炊煙がたち昇るような光景は見られないはずだ▼福島第一原発の事故で、立ち入りさえ禁止された半径二十キロ圏内の警戒区域。住民はわが家を離れ、区域外への避難を強いられている。その住民らが待ち望んでいた一時帰宅が昨日、ようやく始まった▼白い防護服、放射線量を測る線量計、非常時用の無線機…。第一陣となった川内村の九十二人が身に着けたものものしい装備がやるせない。あれは断じて「わが家」に帰る格好ではない。東電幹部らには、あの姿を目に焼き付けておいてほしい▼家にいられたのは、たった二時間。あっという間だったろう。そしてまた住民らは避難先へと“帰る”ほかなかった。菅原克己さんの詩『自分の家』の一節が切なく重なる。<もう帰ろうといえば、/もう帰りましょうという。/ここは僕らの家の焼けあと。…光子よ、帰ろうといってもここは僕らの家。/いったいここからどこへ帰るのだ。…>▼みなが、本当に「自分の家」に帰れる日、あの里に人々の暮らしが戻る日は、いつ来るんだろう。