日本国籍を取り、永住することを発表した日本文学研究者のドナルド・キーンさんは、かつて東北に偏見があったと自著で明かしている。<東北といえば、寒くて暗い、貧困のために満洲(まんしゅう)へ移民しなければならなかった水呑(みずのみ)百姓、ズーズー弁…>(『私の大事な場所』)▼偏見を消したのは松尾芭蕉の『奥の細道』だったという。京都に留学中の昭和三十年には、バスや汽車を乗り継ぎ、福島県の白河の関から芭蕉の足跡をたどったこともある▼多賀城から向かった松島では、芭蕉と同じように島々の美しさに心を打たれた。桜の季節に同時に満開になった瑞巌寺の白梅と紅梅の見事さに思いがけない喜びを味わったそうだ▼芭蕉の<五月雨の降(ふり)のこしてや光堂>でも知られる岩手県平泉町の中尊寺で、キーンさんは金色堂の内陣に入ることを許された。京都や奈良で見たどんな仏像よりも深い印象を残したと書き残している▼この中尊寺などから成る文化遺産「平泉」が、東京都小笠原村の自然遺産「小笠原諸島」とともに、世界遺産に登録されることになった。被災地の人たちにもうれしい報(しら)せだ▼一カ月ほど前、被災地を取材した後、中尊寺に寄る時間があった。震災の影響で人影はまばら。みやげ店のシャッターは閉じていた。やがては観光客の足も戻って来るだろう。キーンさんが、なによりも喜んでくれるはずだ。