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東日本大震災からの復旧に向けた、政府の第1次補正予算が成立した。対応が後手に回る菅直人首相への批判が沸点近くに達し、補正成立を機に「菅降ろし」が始まる気配もあったが、与[記事全文]
外国に住んでいると、衆院選と同時に行われる最高裁裁判官の国民審査に参加できない。参政権の侵害ではないか――。そんな訴えについて、東京地裁は慰謝料の支払い請求などは退けた[記事全文]
東日本大震災からの復旧に向けた、政府の第1次補正予算が成立した。
対応が後手に回る菅直人首相への批判が沸点近くに達し、補正成立を機に「菅降ろし」が始まる気配もあったが、与野党双方の動きは急速にしぼんだ。
非常時に政争にかまけていては有権者に顔向けできない。そんな真っ当な理性が働いたのか。当然のこととはいえ、政界の風向きの変化は歓迎である。
成立に先立ち、民主、自民、公明の3党は合意文書を取り交わした。子ども手当などの歳出見直しについて3党で検討を進める、赤字国債を発行するための法案は成立に向け真摯(しんし)に検討する、という内容である。倒閣を急がず、責任を分担しようというなら自公の姿勢は正しい。
民主党内では、鳩山由紀夫前首相が小沢一郎元代表に、党分裂につながるような行動は控えるよう求めた。めずらしく分別ある忠告といえよう。
原発はいまだ安定せず、被災地では厳しい避難所暮らしが続く。危機にあっては、迅速に決断し、対処できるよう指揮官を支えるべきである。
白紙委任せよということではない。事態がおさまれば、指揮官の振る舞いも含めてすべてを検証し、適否を問う。進退問題を語るのはその時でいい。
このところの政界では、「挙国一致を」「救国内閣を」といった掛け声もやかましかった。菅首相の退陣を前提に、民主、自民両党が「菅抜き大連立」を組むという構想も語られた。
これらもひとまず沙汰やみとなり、結構なことである。
民主党のマニフェスト施策の撤回を求める自民と、その固守を唱える小沢元代表が手を組むというような話なら、もともと無理があったというほかない。
今後、地震と津波の被災については、応急対応から次第に復旧・復興の段階へと進む。
復興は、新たな日本の姿を描く作業である。災害に強い地域をどうつくるか。エネルギー政策はどうするか。復興財源は。各党、各議員によって、描こうとする絵は様々だろう。
そこでは「とにかく力をあわせよ」である必要はない。むしろ知恵を比べ、オープンな論争を重ねる。その中から新たな対立軸が見えてきてもいい。
危機管理と復興の二正面作戦を乗り切るには、力をあわせつつ競い合う大人の態度が必要だ。つまらぬ政争はやめるにしかず。各党が日本再生の道筋を示し、可能な段階で民意を問う。それが、政党政治が成熟していく道ではないか。
外国に住んでいると、衆院選と同時に行われる最高裁裁判官の国民審査に参加できない。参政権の侵害ではないか――。
そんな訴えについて、東京地裁は慰謝料の支払い請求などは退けたものの、憲法に照らして現行制度には「重大な疑義」があるとの見解を示した。
最高裁は6年前、在外選挙の対象を比例代表区に限る公職選挙法を違憲と断じ、衆院小選挙区などへの投票を可能とする改正に結びついた。今回は一歩手前の「警告」にとどまったが、発想を切り替えて対応策を考えるよう国側を促すなど、興味深い判断となっている。
裁判官の氏名が印刷された用紙を受け取り、辞めさせるべきだと思う者に×(ばつ)をつける。それが審査のやり方だ。海外ではこの用紙を手配できないと国側は主張したが、判決は、点字による審査では罷免(ひめん)すべき裁判官名を有権者が自書していることをあげ、通信手段の発達も踏まえれば方策はいろいろ考えられるのではないかと述べた。
国民にとって大切なことを脇に置いて、やる道筋よりも、やれない理屈を考える。お役所体質の典型だ。この用紙問題は、国内においても、議員選挙は公示翌日から期日前投票ができるのに、国民審査は5日後からという珍現象を生んでいる。
こうしたおかしさがこれまでほとんど取り上げられてこなかったのは、国民審査に対する関心の低さゆえだろう。それでいいのだろうか。
最高裁の裁判官は、選挙で選ばれた国会議員が制定した法律や行政機関の処分を審査し、無効とする最終権限をもつ。この強力な地位に正統性を与えるのは、内閣による指名・任命と事後に主権者が行うチェックだ。
司法を民主的統制の下におくという国民審査の趣旨を社会で共有し、実効あるものにしなければならない。国が制度の不備を放置し、国民が権利を行使できない。そんな事態は速やかに改める必要がある。
右肩上がりの経済のもと、国の進む方向についておおよその合意が成立していた時代は終わり、立法、行政、司法の三権の判断ひとつひとつが、従来以上に重みを増している。
この国をどう築き、そこに国民がどう主体的にかかわるか。参政権の意義を問うた今回の訴訟は、そんな課題を私たちに改めて突きつけたといえよう。
あわせて、先の用紙をめぐる国側の主張のような逆立ちした論理が、身の回りの様々な現場に隠されていないか、感度を高めて掘り起こしていきたい。