「4号機では依然、緊張が続いている」。フクシマの話ではない。旧ソ連時代に爆発事故を起こしたチェルノブイリ原発(ウクライナ)の所長が、最近、語った言葉だ▼4号機には今も未処理の核燃料が残り、すっぽり覆ったコンクリート製「石棺」は老朽化で放射能漏れの恐れが出てきている。事故から昨日で二十五年の時が流れたが、なおも原発の半径三十キロ圏には人が住めない。無論、人々の健康被害も続く▼万が一の事態になれば、被害にはほとんど「終わりがない」と教えるチェルノブイリの悲劇だ。そして、深刻度で同じ「レベル7」の福島第一原発事故は「人間が制御できない」ことの恐怖をみせつける。こんなペルシャの諺(ことわざ)が、頭を離れない。<閉められない扉は、開けてはいけない>▼電力源としての原発依存は「現実的選択」だという言い方がある。では、この「現実」はどうか。米シンクタンクによれば、世界の発電容量は昨年、初めて風力や太陽光、小規模水力などの再生可能エネルギーが、原発を上回った▼その差は一層開いていくと研究機関はみる。さて、日本の再生をかけるのにふさわしい“扉”はどっちだろう。早晩、「時代遅れ」になる原発への依存体質の維持か、伸びる再生可能エネルギー分野への野心的取り組みか▼少なくとも確かなことが一つある。後者は<閉められる扉>である。