京都議定書の次の温室効果ガス削減枠組みづくりに向けて、国連の準備会合が再開された。福島第一原発の惨状を教訓に、原発に頼らない削減のあり方を、被災地の思いとともに世界へ届けたい。
いつのころからか、原子力は発電時に二酸化炭素(CO2)を出さないという意味で、クリーンなエネルギーと喧伝(けんでん)されてきた。
二〇二〇年までに一九九〇年比25%の温室効果ガス削減目標は、民主党政権の目玉であり、国連でも喝采を浴びた国際公約だ。
この高い目標は、あらゆる政策を総動員して達成されるはずだった。その中の三本柱が、温室効果ガスの排出枠を売買する国内排出量取引制度、再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度、そして地球温暖化対策税である。
ところがいつの間にか原発が、目標達成の切り札のようになっていた。政府が昨年六月にまとめたエネルギー基本計画では、二〇二〇年までに原発九基を新増設することで、目標を達成できるとされていた。このもくろみが、震災で頓挫した。
廃炉にされる福島第一原発六基の発電量を火力で補うと、環境省の試算では、25%に5ポイントほど届かない。だから削減目標を再検討させてほしいと政府は言う。
見直しの声が出るのは、やむを得まい。しかし、原発を造れないから、このまま尻すぼみにしてもいい、というわけではない。
CO2削減の目的は、温暖化で引き起こされる地球規模の災厄を回避するためである。その手段として、原子力に頼り過ぎることの危うさを、震災で十分思い知らされた。温暖化が招く危険の中には、巨大台風の頻発や海面上昇なども挙げられる。
原子力が「第三の火」として発見されたように、今後の技術革新と発明の努力の中で新エネルギーが見つかるかもしれない。
原発に頼らない日本の新しい削減戦略、太陽光や風力など再生可能エネルギーを総動員した新たな削減目標を、京都議定書の次の削減約束を決める年末の南アフリカ・ダーバン会議(COP17)で世界に諮る気概がほしい。独自の省エネ技術や再生可能エネルギーの開発を復興に結び付ける政策も、併せて考えたい。
今日本が積極的な主張に出れば、世界も耳を傾ける。温暖化の危険は一向に改善されていない。東日本の惨状は、世界にとっても決してひとごとではないからだ。
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