国際的な免疫学者で、能の創作などでも知られた元東大教授の故・多田富雄さんは二〇〇一年に脳梗塞で倒れ、右半身の麻痺(まひ)と言語障害が残った。嚥下(えんげ)障害でつばものみ込めない。絶望の淵(ふち)で、死の誘惑に駆られたこともあったという▼脳の神経細胞は再生しない。多田さんは懸命のリハビリを続ける中、まったく新しい不思議な生き物が、自分の中で生まれつつあることに気付く▼「得体(えたい)の知れない何かが生まれている。もしそうだとすれば、そいつに会ってやろう。私は新しく生まれるものに期待と希望を持った。新しいものよ、早く目覚めよ」(『寡黙なる巨人』)▼ワープロを使って左手だけで一字ずつ時間をかけて文章を書き始め、やがて新聞のエッセー執筆にも復帰。病前を上回るほど旺盛な執筆活動に励むようになった。脳梗塞から生還した多田さんと、大震災と原発事故で先の見えない不安と闘う被災者の姿が重なる▼未曽有の被害を受けた日本の未来は、これまでの社会構造の延長線上に構築されるのではなく、苦しみの中から新たに生み出されるのではないか。そんなことをいま感じている▼統一地方選後半戦のきのう、東京二十三区で最も多い八十三万人が暮らしている東京都世田谷区の区長選で「脱原発」を訴えた元衆院議員の保坂展人さんが初当選した。「新しいもの」は、確実に動き始めている。