E・ベルツは長く東京医学校で教鞭(きょうべん)を執り、日本医学の進展に多大な貢献をしたドイツ人医師である。来日した明治九年の暮れ、一万戸以上が灰になった大火翌々日の日記にこう書いている▼<日本人とは驚嘆すべき国民である! 今日午後、火災があってから三十六時間たつかたたぬかに、はや現場では、せいぜい板小屋と称すべき程度のものではあるが、千戸以上の家屋が、まるで地から生えたように立ち並んでいる>(『ベルツの日記』)▼もちろん、大火とは比ぶべくもない大被害だが、今度の震災では、既に発生から一カ月半になるのに仮設住宅の建設が遅々として進まない。七万戸以上が必要とされるが、完成したのはまだ数百戸という▼三陸沿岸は高台の適地が少なく、被災自治体はそもそも用地確保に難渋しているようだ。離れた場所に用地を求めようにも、当然だが、被災者には、住み慣れた土地を離れたくないという思いも強い▼だが、長引く避難所の共同生活は心身両面で、あの災禍を生き延びた人々を苛(さいな)んでいよう。<小さなあばら家でも共有の宮殿よりはましだ>とはアラブの諺(ことわざ)。ベルツが驚いた<魔法のような速さ>は無理でも、少しでも建設ペースが上がるよう、政府や自治体で知恵を絞ってほしい▼仮設住宅も仮設にすぎず、その先には住み続けられる住宅の整備という課題が待つのだから。