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詩人の島田陽子さんを知らなくても、大阪万博のテーマ曲「世界の国からこんにちは」は大勢が覚えていよう。1970年、三波春夫さんの声で流布した歌は、時代の応援歌そのものだった▼歌詞は公募で、島田さんの作が1万3千余通から選ばれた。1カ月ほど寝ても覚めても考え続け、ふと浮かんだ「こんにちは」で詞を組み立てた。徹夜で仕上げ、当日消印有効のぎりぎりに投函(とうかん)したそうだ。滑り込みセーフで国民的歌曲は誕生した▼島田さんの詩は大阪言葉が冴(さ)えわたる。女の子が、男の子のことを〈あの子 かなわんねん/うちのくつ かくしやるし/ノートは のぞきやるし/わるさばっかし しやんねん/そやけど/ほかの子ォには せえへんねん/うち 知ってんねん〉▼続けて〈そやねん/うちのこと かまいたいねん/うち 知ってんねん〉。男子、形無しである。東京生まれながら大阪弁に惚(ほ)れ抜いた。そんな島田さんが81歳で亡くなった▼6年前にがんを手術した。病への驚怖(きょうふ)を表したのだろう、昨秋頂戴(ちょうだい)した新詩集に次の作があった。〈滝は滝になりたくてなったのではない/落ちなければならないことなど/崖っぷちに来るまで知らなかったのだ〉▼しかし、〈まっさかさまに/落ちて落ちて落ちて/たたきつけられた奈落に/思いがけない平安が待っていた/新しい旅も用意されていた/岩を縫って川は再び走りはじめる〉。昭和の応援歌を書いた人が残した、震災後日本への励ましに思えてならない。