三十五段の階段を上がると、巨大な忠魂碑が倒れていた。九十年前、船の出入りや海の様子を見るために地元の人々が造成した日和山だ。三百六十度見渡せる頂上に立つと、ほとんどの建物が津波に流された壊滅的な惨状だけが広がっている▼あの日、テレビ局のヘリコプターは、名取川の河口近くにある宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区で、数多くの住宅や田畑が津波にのみ込まれる映像を流し続けた。津波は標高約六メートルの日和山を軽々と乗り越え、神社の鳥居も社殿も跡形もなく消し去った▼春になると、桜に彩られる日和山の木々は頂上に一本を残すだけ。活気ある漁港の街は、瓦礫(がれき)を撤去する人たちと空を飛ぶ鳥以外、生き物の気配はまるでしない▼だれが建てたのだろうか。頂上に手づくりの慰霊碑がある。「安らかにお眠り下さい」「一人じゃない」…。多くの被災者が手を合わせる。子どもの遊び場は、慰霊の地になった▼閖上中学校の時計は午後二時四十六分を指したままだ。瓦礫の中に「消息を探しています」と名前が書かれた立て看板があった。その文章は後から黒いペンで消されていた。無事が確認されたのか、それとも…▼放射線の数値が下がった福島第一原発から半径十キロ圏内で、ようやく本格的な捜索活動が始まった。国は復興に走り始めたが、喪の時間を必要としている人たちの存在を忘れてはならない。