HTTP/1.0 200 OK Server: Apache/2 Content-Length: 28059 Content-Type: text/html ETag: "71221a-5d0d-678a87c0" Cache-Control: max-age=5 Expires: Mon, 18 Apr 2011 00:21:07 GMT Date: Mon, 18 Apr 2011 00:21:02 GMT Connection: close
Astandなら過去の朝日新聞社説が最大3か月分ご覧になれます。(詳しくはこちら)
米軍の迅速で強力な救援活動「トモダチ作戦」は、東日本大震災の被災地で多くの人々を助け、勇気づけたことだろう。三陸沖の空母からヘリコプターで大量の救援物資を運び、泥土に埋[記事全文]
航空機や鉄道、船舶の重大事故が起きたとき、原因究明にあたる事故調査は、責任追及を目的にする刑事捜査からもっと独立させた方がいい。事故の調査機関である国土交通省運輸安全委[記事全文]
米軍の迅速で強力な救援活動「トモダチ作戦」は、東日本大震災の被災地で多くの人々を助け、勇気づけたことだろう。
三陸沖の空母からヘリコプターで大量の救援物資を運び、泥土に埋まった仙台空港を素早く再開させた。孤立した離島には揚陸艇で駆けつけ、命綱の港湾施設を復旧させた。
各国から駆けつけた国際救援チームの活躍ともども、その献身的な働きに感謝したい。
米軍がこれだけの規模で日本に手を差し伸べるのは、戦後はじめてのことだ。オバマ大統領の支援表明を受け、最大時は2万人近くが動員された。
それは単に米軍の駐留先が被った災禍だからというだけではあるまい。曲折はあれ、長年にわたって両国が政治、経済、文化など多方面で築いてきた分厚い関係の証しといっていい。
「ただ同盟国としての対応ではなく、より深い意味での友人として対応した」。きのう来日したクリントン国務長官の記者会見での言葉が、そのことをよくあらわしているだろう。
日本と米国は昨年、安保条約改定50年という節目を迎えた。
ところが民主党政権下の両国関係は、普天間飛行場の移設問題がこじれ、迷走続きである。最近では、米国務省幹部が沖縄県民を「ゆすりの名人」などと発言し、火に油を注いだ。
6月下旬にも予定される日米首脳会談を前に、両政府は新たな安全保障関係を探る同盟深化の協議の真っ最中にある。
トモダチ作戦の成功を受け、これを関係再構築の糸口とし、信頼を確かめ直すきっかけにできないだろうか。
もちろん政治的な取引と疑われるような問題のすり替えは禁物だ。なしくずしの妥協では、長期的にはマイナスだろう。
今回の実績を生かし、その延長線上でできることはある。
例えば災害が絶えないアジア・太平洋地域で、多国間の救援枠組みを両国でもっと拡充させる努力につなげてはどうか。
冷戦後、米国は大規模な災害を安全保障上の脅威ととらえ、国境を越えた救援活動に熱心に取り組んでいる。
日本も自衛隊の海外活動に力を入れるようになった。スマトラ沖地震やハイチの震災でも、艦艇や復興部隊を派遣した。しかし経験はまだ浅く、規模も装備も限られている。
米軍は2月に発表した国家軍事戦略で、災害や平和維持活動にあたる自衛隊の能力向上への協力を表明した。この分野でより密接に連携できるなら、何よりの「恩返し」になるだろう。
航空機や鉄道、船舶の重大事故が起きたとき、原因究明にあたる事故調査は、責任追及を目的にする刑事捜査からもっと独立させた方がいい。
事故の調査機関である国土交通省運輸安全委員会のあり方について、専門家や事故の遺族・被害者らでつくる検証チームがそんな提言をまとめた。
安全委はこれまで、捜査機関から依頼があると、調査報告書を嘱託鑑定書として提供し、それが刑事裁判の証拠に使われてきた。
提言は、報告書のうち関係者の証言や事故原因についての記述は鑑定書に含めないよう求めた。現場の調査など客観的事実はこれまで通りとする。
報告書が捜査や裁判の証拠にそのまま使われると、責任追及を恐れる操縦士や管制官らが資料を隠したり、作り話をしたりするおそれがある。国際条約も事故調査で得た情報は調査以外に使わないよう求めている。
こうした点に配慮した提言の方向性は妥当といえる。
現状では、体制や予算が十分でない安全委は、初動の証拠保全などで警察を頼りにし、警察も安全委の専門知識に期待している。
形だけの切り分けに終わらせず、調査の究明力を高めるためには、安全委と警察に提言を現実化する努力が求められる。
検証チームは、事故を起こした組織の安全文化など、背景も含む調査の必要性を指摘したうえで、こう問題提起している。
いくつもの要因がからみ合う複合的な事故について、個人の過失責任を問うことはそもそも適切なのか。最後にミスをした現場の作業員や直属の上司にしぼって罪を問うことは公平を欠くのではないか――。
確かに巨大システムがからむ事故で、個人の責任だけを追及することには限界がある。
個人より組織の責任を問う国もある。米国は刑事罰を免責する一方、組織に重大な過失が認められると、民事訴訟で巨額の損害賠償を命じる。英国は組織の刑事責任を問える制度を設けている。そんな方法も参考に、さらに議論を深めたい。
大量輸送機関だけではない。
福島第一原子力発電所の事故では、東京電力とともに政府や専門機関を対象にした徹底的な調査で、原因と背景を解明することが国際的な責務となろう。
日本では、大きな事故が起きると、ともすれば個人の責任を問う処罰感情が強くなる。
でも安全な社会を築くには、原因の究明が先決だ。その手立てを尽くさねばならない。