この夏、東京電力と東北電力が管内の電力消費を昨年より15〜25%切り詰めねばならなくなった。供給力の回復には年単位の時間がかかる。料金さえ払えば電力を自由に使える生活はもう続かない。
政府が東電、東北電管内の節電対策の骨格を決定し、契約電力五百キロワット以上の工場など大口需要家に25%、商店などの小口に20%、家庭には15〜20%の削減目標を割り当てた。混乱の原因だと評判が悪かった計画停電に代わって、夏真っ盛りのピーク時に電力消費を抑え込む。
しかし、電気事業法は節電を確かなものにするため、大口に対する使用制限の発動を認めているものの、小口や家庭向けの強制的な措置は記していない。家庭には国民運動などで節電を促す以外に有効な手だてがないのが現実だ。
東電と東北電が福島第一原発の事故などで招いた電力不足は、ピーク時の消費の四分の一、千八百万キロワットにも上る。しかも、電力供給の約30%を担う原発の新増設は、国民の不信を招いて容易に進められなくなった。全国の原発五十四基のうち半数は止まったままだ。再開のめどすらついていない。
国の原子力委員会も、原発を温暖化対策とエネルギー安定供給に欠かせぬ基幹電源と位置づけたエネルギー政策の転換を迫られ、原子力政策大綱の改定作業中断を余儀なくされた。電力供給の土台は東日本だけでなく、全国規模で危うさを増したと見るべきだ。
政府は火力発電所の新増設や風力・太陽光発電の導入などを電源確保の課題に掲げたが、いずれも短期間での実現は難しい。たとえ今夏は乗り切れても、電力不足の長期化から逃れようがない。
電力のほぼ四割を消費する家庭が、失った電力をどこまで埋め合わせられるのか。それが節電対策の成否を大きく左右する。
家庭向け電力の一割を消費するというテレビや音響機器などの待機電源を放置してはいないか。エアコンや温水洗浄便座など、電気漬けの日々が惰性に流されていないか。街角などに乱立し、電力を大量に消費する飲料の自動販売機は欠かせない存在なのか。
足元の生活様式を省みて、自ら電力消費を絞り込むことこそが求められている。
需要が増えれば電力会社が出力を増強して追いかける。それが資源小国・日本の電力の歴史でもあった。その便利さを当然と受け流せる時代ではなくなったとの認識を、だれもが共有すべきときだ。
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