名古屋市内で女性を拉致殺害した闇サイト仲間三人のうち、一審死刑の被告を二審は無期懲役とした。一人はすでに死刑が確定しており、司法の判断が分かれた。死刑の重さをあらためて考えたい。
ネットの闇サイトで知り合った男三人が、金目的で見ず知らずの女性を拉致。現金やキャッシュカードを奪ったうえ、頭をハンマーで三十回も殴り、ロープで絞殺するという残虐な事件だった。
名古屋地裁は二人を死刑、自首した一人を無期懲役とした。一人は控訴を取り下げ、すでに死刑が確定。名古屋高裁は「最も重要な役割を果たした(死刑囚と)全く同等にまでみられない」と一審の死刑判決を破棄し、二人とも無期懲役とした。
死刑の適用について、最高裁が一九八三年に示した「永山基準」に「動機」「被害者の数」など九項目が盛り込まれて以降、残虐で特殊な事件以外は、被害者が複数の場合、死刑判決が出る傾向があった。高裁はそうした判例の流れに沿った判断をしたといえる。
だが、死刑破棄に十分な説明を尽くしたと言えるだろうか。一、二審とも無期懲役の被告については、殺害行為への関与が低いことや自首などが量刑で考慮されており、一定の理解は得られよう。一方、高裁は「(死刑囚が)主犯で、被告人両名が従属的であったといえるほどの明確かつ重大な差があるとはいえない」と言い、死刑を回避した理由に十分な説得力があるとはいえない。
極刑を求める被害者の母は「判決は娘の命より被告らの命の方が重いと証明した」とおえつした。プロの裁判官でも判断が分かれたケースだけに、高裁は死刑破棄の理由を、もっと丁寧に説明すべきではなかったか。死刑と無期懲役では天と地ほどの差があり、高裁は死刑を選ばなかった理由の一つとして矯正可能性を強調した。一方、被害者の母は「被告が私の方に向かって頭を下げたのは一回だけ」と話し、反省を一切感じないと明かした。
死刑のある今の法制度の下でも、究極の刑罰である死刑の選択には格別に慎重でなくてはならない。市民感覚を反映させるため裁判員制度がスタートした。昨年十一月には横浜地裁で裁判員裁判としては初めて、男性二人を殺害し遺体を捨てた被告に死刑判決が出された。今後も市民が死刑選択の是非を迫られる場面もありえるだけに、死刑の重さはわれわれみんなの課題だ。
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