東京都知事選で現職の石原慎太郎氏が四選を果たした。引退の決意を翻して出馬した割には、東京の将来像をどう描くのか見えない。未曽有の国難を教訓に首都の在り方を問い直さねばならない。
東日本大震災の被災地に配慮したり、大掛かりな節電が行われたりして自粛ずくめの異例の選挙戦となった。新しい首都の顔を見極めるための材料を都民がしっかりと手にできたのだろうか。
有事下の選挙戦は現職に有利との見方もあった。防災服で危機管理に立ち回る石原氏はそれだけで力強いリーダーと映っただろう。選挙はやはり事態が落ち着いてからにすべきだった。
歴史的な大震災に直面して、石原氏は「東京から日本を救う」と復興を訴えた。ところが、その肝心要の東京が実にもろい都市だということもはっきりした。
電車が止まり大勢が帰宅困難になった。電話やメールが不通になった。食料や飲料水、燃料が消えた。計画停電は会社や工場、商店や家庭、駅の明かりを奪った。
東京での効率的な仕事や快適な暮らしを支えてきたのは、地方で生み出される膨大な電力と安全な飲食物だった。今度の災害では東京は日本を救うどころか地方に救われる境遇にいる。そんな指摘さえ出ている。
そのことはとりも直さず、政治や経済、文化、情報そして人口の東京一極集中の危うさを物語っていると言えよう。問題の深刻さを思い知った都民は多いだろう。
原発容認派の石原氏だが、最大の電力消費地のトップとしてこれまでの地方頼みの供給の仕組みをどう考えるのか問うてみたい。
最近では、派手なネオンの消えた繁華街で「東京は今まで電気を使いすぎだった」という自省的な言葉をよく耳にする。東京独自のエネルギー安全保障のビジョンを思い切って示してはどうか。
併せて首都機能を分散してリスクを減らす。想定外だった大震災の教訓は、そんな柔軟な発想で都市の在り方を見直すことだとの声は強い。もはや建物の耐震化やライフラインの強化などの旧来の防災力だけでは物足りない。
石原氏は日本人の精神が荒廃していると嘆く。親が死んでも弔わずに年金を詐取した事件を引き合いに出し、我欲を怒る。
だがその背景には貧弱な医療や福祉、雇用が横たわっていなかったのだろうか。新しい石原都政はそんな事件が起きないような首都の青写真を描いてほしい。
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