大相撲が存亡のときを迎えている。八百長力士の大量追放という窮地を、相撲界はどう乗り越えようとするのか。大災害に社会全体が揺れる中、その姿勢が厳しく問われている。
大相撲の屋台骨を根底から揺るがしている八百長問題にひとつの結論が出て、事態は新たな局面へと入った。
八百長への関与が認定された二十三人の力士、元力士(のち親方)に引退・退職勧告、出場停止二年の処分を下した日本相撲協会。事実上の追放であり、二十二人が引退・退職届を提出、残る一人は解雇された。自ら関与を認めた者は三人で、他は否定したため、特別調査委員会の調査はきわめて難しいものになったが、それでも協会は二十三人もの関与を認定し、処分に踏み切らざるを得なかった。八百長はそれほど広く深く、相撲の世界に浸透していたのだろう。
処分は大きな節目ではあるが、けっして決着ではない。大相撲を支えてきたファンの怒り、不信は消えていないと思われるからだ。今回の処分は十両力士中心。幕内上位者などの疑惑が晴らされたわけでもない。全容解明にはほど遠い。かつてない不祥事はなお暗い霧に包まれたままなのである。
処分が下されたのを受けて、五月の夏場所は技量審査場所として行われ、無料公開されることになった。通常の興行ではないが、ともかくも取組が再開されるのだ。これで、本場所の通常開催に向けての流れができた。春場所を中止した協会としては、早くその段階へとこぎつけたいに違いない。
だが、そう簡単に場所再開、一応の幕引きへと進んでいいものだろうか。これほどの不正行為が明らかになった以上、土俵に対する信頼、信用はすぐには取り戻せない。なのに幕引きを急いでは、かえって危機を深める。ここでどんな姿勢を示すか。それが今後のすべてを決するのではないか。
調査の徹底。思い切った再発防止策の提示。そしてすべての元凶となっている体質、構造そのものの抜本的改革。まずはそれらを第一に考えるべきだ。すなわち、相撲界が本気で生まれ変わろうとする決意を明確にすべきなのだ。それがなければ、ファンの不信感は消えないだろう。
それにいまは、大災害を必死に乗り越えねばならない時期でもある。大相撲の再出発は、そうした中でも国民に幅広く認めてもらえるだけのものであってほしい。
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