東日本大震災の復興策をどうするか。国民が心配しているのに、思いつきの案は聞こえてくるが、具体的に動きだす気配がない。先が思いやられる。
民主党がまとめた「復興対策基本法案」の原案なるものが先週末、各紙に一斉に報じられた。復興庁の新設とか震災国債の発行と日銀引き受け、法人税や所得税の増税などが骨子だった。
ところが、この“原案”が報じられると、岡田克也幹事長が直ちに内容を否定した。増税は「議員個人のアイデアで党として議論したことはない」、日銀の国債引き受けについても「あり得ない」とばっさり切り捨てている。
◆迷走する民主党と政府
岡田氏は政権与党の責任者だ。知らないうちに党の復興法案が報じられ、後から責任者が中身を否定するとは、民主党はどうなっているのだろうか。戦後最大の危機にあって民主党の政策論議は迷走状態といえそうだ。
政府も似たようなものである。菅直人内閣は地震と津波、東京電力・福島第一原発事故を受けて、次から次へと対策本部やら会議を七つも新設した。先週末の首相会見では、加えて「復興構想会議」もつくると発表した。「会議は踊る」ではないか。
一方で、菅首相は母校の東京工業大学を中心に何人もの学者を内閣官房参与に任命している。「政府組織や東電、官僚は信用できない」と公言したかのようだ。
危機管理を担う肝心の政府も党も統制がとれず、混乱しているのはあきらかである。いまは屋上屋を架すような会議や人事の乱発を繰り返している場合ではない。なにより政府がリーダーシップを発揮して、復興策の中身を具体的に詰めていくべきだ。
指摘したい点がいくつかある。まず、今回の対策を復旧とするのか、復興とするのか。
◆原子力保安院を見直せ
災害復旧法にしたがえば、震災で被害を受けた公共土木施設は「原形復旧」が基本になる。今回はそれで間に合うとも思えない。平地の家屋を根こそぎにした津波の恐ろしさを考えれば、街や施設の高台移転を軸に「復興」を考えるべきだろう。
大規模な移転工事を伴う復興ならば、費用は兆円単位で膨れ上がるかもしれない。だが、ここはカネの算段より住民の命と暮らしを最優先で考えるべきだ。
菅首相は会見で「山を削って高台に住むところを置き、漁港まで通勤する。新たな街づくりを目指したい」と語った。いまなお避難所でつらい日々を送っている被災者を励ますためにも、言葉だけではなく具体的な復興の青写真作りを急いでほしい。
復興庁や復興府の新設という構想もある。復興対策が各省、各自治体にまたがる一方、壊滅した街と暮らしの復活という目的が同じである以上、担当する役所を一つにまとめるのは合理的である。
ただ話が具体化してくれば、縦割り組織である霞が関が縄張り根性を発揮して、水面下で抵抗するのは容易に想像できる。仮に復興庁(府)に一本化するなら、各省の政策をホチキスでまとめるような調整官庁とせず、権限も特別法で一本化すべきだ。
役所新設の前に、真っ先に見直しが必要な役所がある。原子力安全・保安院である。保安院は経済産業省の外局になっている。本来なら独立の立場で客観的、科学的に原発の安全性を監督すべきなのに、原発推進の旗を振ってきた経産省の組織だった。
東電には歴代の経産省幹部が何人も天下っている。保安院が原発の危険性に本気で警鐘を鳴らせただろうか。
「原子力ファミリー」と呼ばれる既得権益構造にメスを入れることなく組織いじりをしても、政権への信頼感は生まれない。「二度と事故を起こさない」という断固たる決意が不可欠である。
復興財源は議論百出だ。増税論者が唱える消費税引き上げでは、被災者も負担増になってしまう。といって法人税や所得税を増税すれば、景気悪化を加速させる。産業基盤の損失に計画停電が加わって、大不況の到来もささやかれている。当面は国債増発で賄い、増税は引き続き中長期の検討課題とするのが妥当ではないか。
◆日銀は国債引き受けを
国債の日銀引き受けを禁じ手とする意見がある。財政法は国会議決があれば引き受けを禁じていない。実際、日銀は財務省と合意のうえで償還期限が到来した保有国債について毎年、借換債を引き受けてきた。それでインフレになったわけではない。二〇一一年度も一一・八兆円を引き受ける。
日銀が財政出動に伴う円高を避けるためにも、引き受けか市中国債の買い入れ増額を決断する。いまは、それほどの非常時である。
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