HTTP/1.0 200 OK Server: Apache Content-Length: 40581 Content-Type: text/html ETag: "ae5c3-16a0-d88e9400" Expires: Sat, 02 Apr 2011 22:22:15 GMT Cache-Control: max-age=0, no-cache Pragma: no-cache Date: Sat, 02 Apr 2011 22:22:15 GMT Connection: close 進む集団避難 息の長い被災者支援が必要だ : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
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進む集団避難 息の長い被災者支援が必要だ(4月3日付・読売社説)

 さいたまスーパーアリーナ(さいたま市)に役場ごと集団避難していた福島県双葉町の住民約1200人が、そろって新たな避難先に移った。

 故郷から遠く離れての生活は不安も大きい。受け入れ自治体にはきめ細かな支援を期待したい。

 福島第一原子力発電所がある双葉町は、避難指示を受けて福島県川俣町に移動し、その後、さいたま市を経て、埼玉県加須(かぞ)市の旧県立騎西高校(閉校)に避難先を替えた。旧校長室を町長室にして校舎に役場機能を設けた。

 町ごと移転したことで、地域コミュニティーを維持しながら避難生活を送ることができる。隣近所で励まし合えば不安も和らぐだろう。小中学生たちも、まとまって転入するほうが望ましい。

 だが、将来に向けての課題は山積している。

 職を失い、収入の当てがなくなった町民は多い。働き口を早期に見つけられるよう支援する必要がある。高齢者には医療、福祉のサポートが不可欠だろう。

 一番の問題は住宅の確保だ。原発事故の処理は長期化しており、故郷に戻れるメドが立たない。仮設住宅の建設は急務だ。その際、十分な配慮が必要になる。

 1995年の阪神大震災では、地域に関係なく高齢者らを優先的に仮設住宅に入居させた結果、住民同士の絆が薄まった。人知れず亡くなる「孤独死」は5年間で200人を超えた。

 一方、2004年の新潟県中越地震では、当時の山古志村の約2000人が役場ごと避難した際、村は集落ごとに避難所や仮設住宅を割り当てた。長年築いた地域の絆が被災者たちを支えた。

 双葉町民を受け入れた加須市だけでなく、周辺市町村や県、国の多岐にわたる協力が必要だ。

 福島県では、双葉町とは別に7町村が、原発事故の影響で県内の自治体へと役場機能を移した。

 大熊町は、会津若松市に役場を移す。町民約1800人も集団移転し、市内各所に分かれて生活する。廃校を仮校舎にして小中学校も再開する。生徒や教師を含め、学校ごと移転する取り組みだ。

 岩手、宮城両県では、津波被害を受けた沿岸地域から内陸へ集団避難する動きが広がっている。

 仕事や家庭の事情から、集団避難に加われない人も大勢いる。その人たちと連絡をとり続けることも各自治体には求められる。

 広域的な対応が迫られており、国、自治体は被災者の声に応える息の長い支援を行うべきだ。

2011年4月3日01時15分  読売新聞)
東京本社発行の最終版から掲載しています。

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