命のたすきを託された桜の二世が東京で花開きました。飛騨高山から故郷を思う心を込めた贈り物。大震災の被災地の励ましにもなってほしいものです。
桜便りが日本列島を北上しています。マグニチュード9の大地震と津波、福島第一原発の事故。東日本大震災は東北地方に残酷で広範囲の惨禍をもたらし、人びとの日常と安穏を引き裂きました。けれど、この地にも遅い春を告げる桜の季節は巡ってきます。
◆荘川から千鳥ケ淵に
親桜は旧荘川(しょうかわ)村(現・岐阜県高山市)の御母衣(みぼろ)ダムの湖畔に立ち並ぶ二本の「荘川桜」です。毎年百万人もの花見客でにぎわう東京都千代田区の桜の名所・千鳥ケ淵に昨年十二月、移植されました。二世はこれまでにも各地に植樹され、東北の岩手や宮城、福島県にも植えられています。
旧荘川村が「より効果的に荘川桜の二世を地域振興に生かすにはどうしたらいいか」と考え、区の花を「桜」とするなど桜へのこだわりが強く、首都の中心部でもある千代田区を今回の贈呈先に選びました。
高山市の土野守・前市長と千代田区の石川雅己区長が、全国街道交流会議をきっかけに十年ほど前から旧知だったことも後押しに。ビルに囲まれた大都会と自然環境たっぷりの山里との交流を活発にして、その輪が広がることも念頭にありました。
二世が無事に開花するかどうか千鳥ケ淵の緑道に移植した人たちは気をもみましたが、無事に開花した今、高山市も千代田区も「このけなげな桜に、東北の被災地の復興への願いを込めたい」との思いを重ねています。
親桜は樹齢四百五十年余、樹高約二十メートル、幹回り約六メートルの堂々としたアズマヒガンザクラの老木です。しかし半世紀前、湖底に沈んで朽ち果てるはずだったのです。
◆花と母ちゃんの弁当
当時、戦後の深刻な電力不足を補うため、雪深く水豊かな岐阜県飛騨の庄川上流部が大規模ダム建設の適地とされ、荘川村などの二百四十戸は水没の運命でした。
故郷を失うまいとする村民の猛烈な反対運動が起きましたが、七年もの長い交渉の末に、建設合意で決着。建設に当たった電源開発(Jパワー)の初代総裁高碕達之助(故人)が、この老桜を村民の故郷をしのぶよすがにしたい、と思い立ち、巨木は命拾いをしたのでした。前例のない大移植は一九六〇(昭和三十五)年のことでした。
日本人にとって桜は特別な存在です。古くから日本書紀、万葉集などに登場しますが「花といえば桜」となったのは平安時代からです。今なら卒業、入学、入社。春の象徴、門出の花です。戦後の歩みを黙々と支えた東北の人には集団就職で上京するときの、いささか心ざわめく花かもしれません。
花見が庶民の身近な風習になったのは江戸時代から。各地に瞬く間に広まりました。未曽有の大震災で宮城県気仙沼市も大被害に遭いました。ほど近い町に生まれた本紙の先輩記者で、全国の桜を写して回り歩いた佐藤健三・元写真部長(東京本社)が話してくれました。幼いころ“母ちゃん”がこさえてくれた花見弁当が忘れられないと。「三段重ねの黒塗りの重箱でね。子どもが大好きな巻きずしに卵焼きと桜色のそぼろが入ってて。甘かったなあ。重箱の一番下はお赤飯」。大人は地酒の一升瓶を持ち寄ります。必ず二級酒を。
ヤマザクラやヒガンザクラなどが桜の原点と桜守らはこだわります。自生の桜は個性があり、土地ごと日ごとに顔が違う。東北には長寿の自生種が多く見られます。盛岡市の石割桜は樹齢三百六十年のエドヒガン。大きな花こう岩を割り裂き天を突いています。福島県中部の三春町の滝桜はエドヒガン系のベニシダレ。樹齢は千年を超えます。
東北の村々では桜を大切に見守り、ともに暮らし、苗代桜、種まき桜という言葉があるように農耕の目安にしてきました。しかし今度の大津波で米どころの岩手、宮城、福島県の田畑は少なくとも約二万ヘクタールが海水の塩分被害に遭いました。福島原発事故の放射能で農家は野菜の作付けもできません。
◆咲くのは生への証し
大震災から三週間余。刻まれていく数字は冷徹です。死者、行方不明は合わせて三万人近くに。復興に向かって動き始めはしましたが、原発事故への不安と不信はぬぐえません。深い鎮魂に包まれ、空も海も大地も色を失ったような東北の地に、それでも、希望は生まれ、励ましは届いています。
桜は次の生のために花を咲かせます。前を向くからこそ散り、新芽を出し、再び花を咲かせる。一年、十年、数百年。過酷なことがあろうと、へこたれず生きます。人の営みと重なり合うのです。
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