水俣病未認定患者最大の訴訟団体「水俣病不知火患者会」(約三千人)が、国と熊本県、チッソに損害賠償を求めた三つの訴訟で和解が成立した。だが、救いを求める声なき声は、まだやまない。
節目ではあるだろう。だが、ここはまだゴールではない。
国は一九七七年以来、水俣病患者の認定について、厳しい基準を崩していない。正式に患者とは認定しないまま“示談”で済まそう、という姿勢を貫いている。
九五年、ときの村山富市内閣は約一万人の未認定患者に一時金などが支払われる条件で「政治決着」に持ち込んだ。しかし、それをよしとしない人々が二〇〇四年、最高裁で国より緩やかな認定基準を勝ち取った。
その後、名乗りを上げる患者が急増、前政権は一昨年、水俣病特措法を成立させ、原因企業のチッソなどが一時金や療養手当などを支払う「第二の政治決着」を試みた。今回はこの条件に基づく和解である。
訴訟に訴えず、チッソと協定を結んだ団体も加え、集団による闘争はほぼ収束した。しかし、これで解決が近づいたといえるだろうか。原告団の平均年齢は六十五歳を超えた。係争中に百人近くが亡くなった。多くの原告にとって、和解に応じることは苦渋の選択だったに違いない。
大きな宿題も残されたままだ。そもそも水俣病とは何なのか、医学的には未確定のままである。国は不知火海沿岸住民の大規模な健康調査を実施しようとしない。原因と病状を明らかにしなければ、ミナマタは繰り返される。
患者たちは風評による差別を恐れ、全国に散らばった。名乗りを上げられないか、自らの病が水俣病であることに気づいていない潜在患者も多いとみられている。
救済の対象は、三年をめどに確定することになっている。東京訴訟の和解条項には「救済を受けるべき患者がすべて救済されるよう」とのくだりがあるが、三年では到底無理な話ではないか。
チッソの分社化で責任の所在が不明瞭になることに、不安を抱く患者も多い。根本的な課題と不安を残したままで、最終決着はありえない。
かつてチッソは国策企業と呼ばれていた。国策推進の陰に泣く住民に国は今後どう向き合うのか。東京電力・福島第一原子力発電所の放射能漏れで被害に直面している福島の人々も水俣病和解の行方に注目しているかもしれない。
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