東日本大震災に派遣されている自衛隊が、菅直人首相の指示した十万人を超えた。自衛隊は災害派遣に、どれだけ力を注いでもやり過ぎることはない。
被災地に派遣されている自衛官は約十万六千人、航空機約五百三十機、艦艇約五十隻─。政府の中央防災会議が定めている大規模地震の「首都直下地震対処計画」の派遣規模にほぼ匹敵する。
自衛隊も被災者である。東北地方を担任する仙台市の陸上自衛隊東北方面総監部の隊員の家族のうち、死者・行方不明者は約三百人。隊員は悲しみをこらえ、住民の救援にあたっている。
◆ロシア機が挑発飛行
航空自衛隊松島基地(宮城)では戦闘機を含む二十八機が水没した。隊員が災害派遣に駆り出されているため、修理できず、格納庫にしまい込まれている。
この間、日本周辺が静かだったわけではない。震災発生後の十七日と二十一日、ロシアのIL20偵察機やSu27戦闘機が日本海を日本に向かって南下し、複数の基地からF15戦闘機が緊急発進する事態になった。被災時の日本の防空体制を確認する目的としか思えない挑発行為である。
自衛隊は東日本大震災対処を最優先としているが、本来任務の防衛警備はおろそかにできない。難しいかじ取りが求められている。
東日本大震災に派遣された隊員数は、二日目から二万人、五万人、六万六千人と増え続け、八日目に十万人を突破した。発生から五日目以降も一万人台で推移した一九九五年の阪神大震災と比べ、素早く動員できたことが分かる。
阪神大震災では当初、兵庫県知事からの災害派遣要請がなく、自衛隊を送り込めなかった。その反省から自衛隊法が改定され、震度5弱の地震発生で自衛隊は自主派遣できるようになり、速やかに出動できる根拠法令が整った。
阪神大震災以降、地方自治体はこぞって自衛隊との災害訓練を求め、実際に起きた新潟県中越地震、岩手・宮城内陸地震などを通じて、自衛隊と地方自治体の連携はさらに強まった。陸上自衛隊の各部隊には倒壊家屋から被災者を救出する二種類の人命救助システムが配備され、この器材を活用した訓練も始まった。
今回、陸海空自衛隊を統合運用する災害統合任務部隊が初めて編成され、君塚栄治東北方面総監が一元的に指揮をとっている。こうした要因がうまく絡み合っている。それでも被災者救援は十分ではない。連携が足りない分野もある。原発事故への対処である。
◆連携拒んだ電力会社
東北方面総監部は二〇〇八年、「宮城県沖でマグニチュード(M)8の地震が発生した」との想定で二県二十二市町と民間企業が参加する実動訓練「みちのくアラート」を実施した。ただ、想定の被災地から福島県を外したことと、本社が東京にあって調整が困難だったことから福島第一、第二原発を抱える東京電力は参加していない。
それだけではない。全国に五十四基の原発を持つ電力各社が「原発は多重防護により安全」と主張し、自衛隊との連携を求めない現実がある。経済産業省が主体の原子力総合防災訓練で、自衛隊が担うのは住民避難の支援や空中の放射線観測といった原発から離れた場所での活動にとどまっている。
訓練もしていない福島第一原発での放水作業を可能にしたのは、防衛省が九九年に起きた茨城県東海村のJCO臨界事故の再来を想定して、化学防護車の放射線対策を強化したり、鉛入りの放射線防護服を開発したりと準備したからである。招かれざる客が正装して待機していたのが今回といえる。
自衛隊の災害派遣は毎年五百回から九百回の間で推移し、〇九年度は五百五十九回あった。福島第一原発へ出動した核・生物・化学(NBC)兵器の専門集団である中央特殊武器防護隊は九五年、東京で起きた地下鉄サリン事件でも前身の部隊が出動している。
◆防災予算と十分な訓練を
この際、確度が高い災害派遣にいっそう力を入れることにしてはどうか。昨年十二月に閣議決定された「防衛計画の大綱」は、「本格的侵攻の可能性は低い」とし、戦車、大砲といった冷戦型の装備を大幅に減らす一方で、陸上自衛官の編成定数は十五万四千人と一千人の削減にとどめた。
普通科(歩兵)が増えるであろう陸自に各種災害に備えた専門部隊を新設するのは難しくない。過剰な武器の購入費を防災に必要な装備の購入に回し、訓練時間も増やす。国際災害でも「まじめで礼儀正しい」「高い技術を持っている」と派遣先国から絶賛される自衛隊である。国防と災害派遣。二正面での活動を期待したい。
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