死亡者七人、負傷者十人。東京・秋葉原で無差別に殺傷した加藤智大(ともひろ)被告に宣告されたのは、死刑だった。「居場所がない」というだけで、なぜ暴走したのか。その飛躍への不可解さは残る。
「自分の居場所はどこにもない。事件を起こさないと掲示板を取り返せないと思った」と加藤被告は公判で語った。携帯サイトの掲示板のことだ。
被告はしきりに書き込みをし、誰かからの返事を待つのが楽しみだった。だが、別人が被告になりすましたり、無意味な書き込みが横行する「荒らし」が頻発したりして、被告が書き込んでも、返事は掲示板に来なくなっていた。
だが、これが引き金になったにせよ、凶悪犯罪の動機らしき動機ではありえない。被告は原因の一つに「ものの考え方」を挙げた。
これは母親からの厳しい教育と切り離せない。九九の暗記ができないと、風呂の中に頭を入れられた。食事がチラシの上にまかれ、食べさせられたこともある。罰はエスカレートした。
言葉での反論を許されぬ被告は、不満を行動で示すようになった。「ものの考え方」とは、そのゆがみのことを指すようだ。
青森の名門高校に入学したものの、人生の歯車はきしむ。自動車関係の短大から、警備会社や運送会社などに勤めたが、どこも長続きしなかった。例えば上司が気に入らないと、辞めるという行動に出て、不満の気持ちを示すわけだ。キレやすいのもそのためだ。
自動車工場で働いたが、「派遣切り」の通告を受けた。後にその対象から外れたものの、「自分がパーツ扱いされている。腹立たしかった」と受け止めた。
「一人の食事ほど虚(むな)しいものはない」「いつも悪いのは俺だけ」などと書き込んだりした。孤独な心のうつろさがにじむ。事件当日は「秋葉原で人を殺します。みんな、さようなら」。最後の書き込みは「時間です」だった。
だが、実際には職場でも郷里にも友人は何人もいた。被告は「現実の方が大切なものがたくさんあったし、居場所もあった」と法廷で吐露していた。日曜日の歩行者天国で、アクセルでなく、なぜブレーキを踏まなかったのか。現実に居場所はあったのだ。気付くのがあまりに遅かった。
残虐、執拗(しつよう)、冷酷…。判決が並べた言葉に尽くせぬ非情な犯行は、「アキバ」の街を深い悲しみに沈めてしまった。
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